湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

映画「レインマン」を見た。

近所の古本屋で、映画「レインマン」の中古ビデオを安く売っていたので、買ってきた。さっそく鑑賞。

 

 

レインマン(吹替版)

レインマン(吹替版)

  • メディア: Prime Video
 

 

 

ダスティン・ホフマンがいかに自閉症らしく演じているか について亭主と品評する。

 

「けっこううまいけど、まだ演技だっていうのが分かる程 度の演技」という結論。

 

それにしても、息子の障害が分かってから、この映画を見る勇気がわくまでに、一年半 以上かかったことになる。私もけっこう、根性ナシだ。もっと早く見ればよかったのに 。

 

映画のなかでは、インチキくさい商売をしている青年が、それまで存在も知らなかった二十も年上の自閉症の兄と出会い、共に旅をした数日のあいだに、兄の自閉症を丸ごと理解して受け入れ、周囲の誰もが気づいていなかった兄の心の深部を見抜き、寄り添うことのできる家族へと変貌を遂げる。

 

この弟 とメチャクチャな旅をしながら過ごすあいだ、兄は、常同行動に囚われて外界と接触で きない、得たいの知れない自閉症者ではなく、一人の人間として生きてきた歴史と感情 と、家族への愛情を備えた、奥行きのある人間として存在することができたのだった。

 

現実にはそんなに簡単に事が進むはずはないと分かっている。


兄レイモンドは、深刻なこだわり行動やコミュニケーション能力の問題を抱えながらも、言葉を理解し、食事や着替えなども自力でこなし、天才的能力といわれるサヴァン症候群の持ち主でもある。 コンピュータ以上の記憶と計算能力を駆使して、カジノで大もうけできたりしてしまう 。パニックを起こす頻度も少ない。自閉症の人の大半は、こんなふうではないと分かっている。要するに、おとぎ話なのだ。

 

けれどもこういうファンタジーは、私はきらいではない。息子がまだ小さいからかもしれない。

 

それにしても、アメリカの知的障害者施設は、どこもこの映画のようなのだろうか。

お城のように広大な敷地。整った設備と、よくできた介護スタッフ。

プライベートな生活を確保できる個室。

 

そういうところからして、日本の自閉症児の母親の目には、強烈なファンタジーと思えてしまう。

 

けれども映画自体は、ファンタジーに終始しようとしたものではない。

自閉症の兄レイモンドが施設に入れられた経緯は、やはり淋しいものであった。

 

彼らの父親は、レイモンドが年の離れた幼い弟に危害を加えるのでないかと恐れ、施設に隔離することを決意したのだった。母親は亡くなっていて、父親は時折レイモンドの面会に行っていたが、もう一人の息子であるチャーリーには、障害のある兄の存在はひた隠しにしたまま暮らしていた。

 

そうした経緯が心の痛みとなったのか、父親はチャーリーにうまく愛情を示すことができないまま、亡くなってしまう。レイモンドを施設に送った瞬間に、この家庭は、バラバラに壊れてしまったのだろう。

 

また、医療の現場において、自閉症という障害が、いかにあまり知られていないかということについても、さりげなく描かれている。

 

精神科の待合室で、チャーリーが兄の障害について「自閉的です」と説明したのを、看護婦が「芸術的?」と聞き返している(オーティスティックとアーテスティックは、トム・クルーズが発音すると、ほとんど同じに聞こえる)。

 

この映画は十三年前のものだが、日本の現状では、アメリカの十三年前よりはるかに遅れた面があるかもしれないと思うと、なんというか、あまりシャレにならないのであった。

 

ドイツの自閉症の少年ビルガー・ゼリーンも、「レインマン」を見たという。

著作「もう闇のなかにはいたくない」のなかで、「こういう映画は気持ちを引き立てるけれど、自閉症のうわっつらをなぞるだけ。 自閉症者の内部にある苦しみは描かれていない」という感想を述べていたと記憶している。

 

 

 

ビルガー・ゼリーンはいつか映画を作るのかもしれないが、私にそれを見る勇気が あるかどうかは、まだちょっと分からない。

 

2001年9月2日

 

※古い日記を転載しています。