湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

不安

私の体調は少しづつ回復しつつあるようで、今朝はこうしてパソコンの前に座っても、ひっくり返らずに済んでいる。

 

昨日病院でもらった抗生物質や消炎剤が効いたのだろう。でもまだ体中の関節が痛い。胸や背中には時折激痛が走っている。喉も痛い。

 

とてつもない汗をかいたかと思うと凍ったように冷たくなる、という体温調節の不調もまだ続いている。

 

病院で血液検査を受けてきた。投薬の副作用で白血球が激減しているらしい。以前は7000以上あったものが、昨日の時点で4000まで落ちている。倒れた瞬間にはもっと下がっていたのかもしれない。

 

なにしろ、あ、喉がいたいかも、と思った次の瞬間にはドカーンとコンクリートの塊に押しつぶされたようになって、声も出なかったのだ。免疫系の邪魔を受けずに一気に何かが進行したのは間違いない。

 

ちなみに白血球の正常値の下限は3500で、それ以下に落ちると重い髄膜炎などにかかって、一層死ぬ思いをする可能性が高くなる。私と同じ投薬でその状態になった女性の症例報告をインターネットで読んだ。その人は白血球の数が1000まで下がったそうである。

 

カルテの記録によると、白血球が減り始めたのはだいぶ前かららしい。けれどもまだ正常範囲内であるということで、内分泌科の主治医は、

 

「ま、だいじょうぶかな」

 

といって、副作用の元凶である投薬を続けた。残念だが、もう大丈夫ではなさそうである。次にこれが来たら、私はちょっと命を保つ自信がない。エイズで亡くなった人々や、インフルエンザ脳症で命を落とした子供たちの最後の、あるいは最初の苦しみに近いものを味わったのだ。

 

持病のほうは手術を受けるしかないのかもしれない。


次の主治医の診察で、それを勧められたら、なんと答えよう。私はこの若い女性の女性の主治医がけっこう好きなのだが、それは、この人はたぶん私と同じ注意欠陥障害(ADD)傾向の人だろうという、確信に近い親近感を持っているからでもある。

 

親身で丁寧で粗忽な問診。やわらかなほほえみ。短期間に三度も投薬量をミスするという念の入れよう。

 

二週間後に来てくださいと言われて行ったら出張で居なかった、なんてことも何度かあった。

 

しまいには投薬の分量を私がチェックしてから処方箋を書いてもらうようにまでなった。

 

私はこの愛すべき医師の主催する手術を受ける自信があるだろうか。ない。

 

これじゃまるで私の日記である。


息子(3歳・重度自閉症)や長女さん(5歳)のことも書いておきたい。
ふたりとも、とりあえず元気である。

 

息子は、まねっコ強化月間に突入した。

 

自閉症について御存知の方はよく知っておられると思うのだが、こういう傾向をもった子供たちは、他人のマネをすることがとても難しい。

 

視線が合うかどうかと共に、まねっこ遊びが出来るかどうかが、自閉症のリスクを知る手がかりにもなるほどである。

 

息子のクラスでも、「むすんでひらいて」や「手を叩きましょう」などといったポピュラーな手遊びを、毎日ひととおりやらされているのだけれど、前で実演してみせる先生方と一緒に手を動かせる子は、十人中三人いるかいないかである。

 

もちろん、息子もほとんどできない。けれどもこれまでの特訓によって、気が向けば、若干遅れてついてこれる程度までには進歩した。完全なシンクロはまだムリだけれど、同じような動きをちょっと試してみて、それからパーッと顔を赤らめて笑ったり、くすぐられたように声をあげて逃げたりする。人のマネを試みることは、息子にとって、たいへんな冒険であり、興奮する行為であるらしい。

 

「とてもじゃないけど、こんなのを全部やったら、ボク、あたまがどうかなっちゃうよー」

 

といいたそうな顔をする。その表情に苦痛の影は見えないけれど、コワイものを見たいけれど見たくない、でもやっぱりちょっとだけ見て逃げようかな、というような躊躇と期待は交錯している。人のマネをする行為には、それほど強烈に、息子の認識の転換を促す何かがあるのだと思う。

 

息子も、わずかだが、まねっこ遊びをしていた時期があった。

 

一歳を過ぎたあたりだろうか、私と一緒に「いない、いない、ばー」を何度も何度も繰り返して、たのしそうにほほえんでいた息子の顔をはっきりと思い出す。「むすんでひらいて」も、とても上手にやっていた。歌は「むっんーでー、あいってー」といった具合で、はっきりとは言えなかったけれど、それでもちゃんと歌っていた。

 

でも手の動きは今よりずっと正確だった。歌をうたうと、必ず親の顔をみつめて、目と目を見合わせて、にっこり笑った。

 

それが一歳半ごろには、すっかり消えてしまって出なくなった。人と目を合わせない、話しかけもしない、石のように硬い息子の表情を、いまでもときどき思い出す。出ていた軟語すら消えた。笑いは消えていなかったけれど、それが家族に向けられることはなかった。

家族の生活は変わらずに続いていったのに、息子だけが変わってしまった。


こういうタイプを「折れ線型自閉症」という専門家がいる。途中まで普通に発達してきているのに、グラフの線がいきなり折れて下降するように、ある時点を堺に悪化の傾向をたどるから、こういう命名をされているわけである。このタイプの自閉症の予後は悪いという話もあるが、どういう調査を元にしたものなのか、詳細についてはよく分からない。

 

あの半年ほどの間に、息子の脳に一体何があったのか、説明することの出来る医師にも、可能な限り説明しようとする医師にも、私たちはまだ出会っていない。

 

まねっこを練習することで、折れ線が下降する前の息子が戻ってくるような予感がしている。

 

まねっこによって、息子は本当の意味で、他者の心の存在を発見することが出来るかもしれない。息子にとって、他人はまだまだ「動く道具」でしかない。息子は「道具」になみなみならぬ愛情を持つけれど、自分とその「道具」が同じ「人間」という存在であって、しかも違う知覚情報や感情を持って動いているのだということには、まだ気づいていないのである。鏡と家族が違うということも、椅子と母親が違うということも、息子は本当には理解していない。

 

その理解の壁こそが自閉症という障害の大きな壁の一つなのであり、それを破ることが息子を先に進ませる第一歩になるのだと、私は考えている。

 

いっぱい書いたら、やっぱりつかれた。


(2001年7月11日)

※過去日記を転載しています。