子供をお世話してもらっている人達とはケンカはしないほうがいいと、ある方々諭された。
ブラックリストに乗らないようにうまく身をかわしつつ、相手の持てる能力を最大限に発揮してもらうような言葉をかければいいのだ、とも教えられた。
ある方々というのは、障害児の療育の現場の事情を熟知する立場にある方々である。
それは本当に、そのとおりだと思う。
でも私にできるだろうか。
たぶんムリだ。不信感といらだちの感情しか持てなくなった相手に本心を悟られないように、おだてあげて働いてもらうなんて芸当は、三回生まれかわったって、できそうにない。
どうして、通園施設の職員さんたちは、息子の進歩を私と一緒に喜んでくれないのだろう。
息子が「おかあさん」と言ったのを聞いた私は、すぐにあのひとたちに報告した
けれども帰ってきた言葉は、
「◯◯ちゃんがそんなふうにしゃべるのなんて、聞いたことがない」
だった。
「へーえ、ほんとですかあ」
と、疑いの気持ちもあらわに聞き返したひともいた。
少し心あるひとは、
「ここでは言葉を促すことをしていないから言わないのかしら」
と自問していた。
そう、その通りなのだ。話すことを少しも期待されていない場所では、息子は話さない。
けれどもその後、あのひとたちが、息子の言葉をうながそうとした形跡はない。あの施設は、たぶん、障害児たちを、よき障害者に育てあげるための土台をつくる場所なのだ。
よき障害者にとって大切なことは、自分の思いをぺらぺらしゃべったり、好きなだけインターネットに日記を書いたり手紙を出したり出来ることではなくて、トイレのしつけや食事の自立や、椅子におとなしく座っていられることなのだろう。
もちろん、そういったことも大切だ。
けれどもそれは、話したり聞いたりする能力によって、妨げられるものだろうか。
心からの熱意と、細心の注意を払った相手にだけ、息子は言葉を聞かせてくれる。そのことを、あのひとたちがもう少し理解してくれたなら、息子の日々はもっと豊かなものになるはずなのだ。
理解を求める努力を、いまの私はほとんど放棄しかけている。というか、キレかけている。
もういちど、頑張ってみるべきなのだろうか。わからない。
今日、役所の福祉課のひとが、うちに訪ねてきた。息子に関する相談だという。アポなしの訪問で、私は家にいなかったので、留守番していた夫が応対した。相談というのは、息子の障害児としての生活のなかで、親として思うことや感じること、困ったことなどを、話して聞かせてほしいということだった。話したことは、福祉行政において、より責任のある人たちのところへ、まとめて伝えられるという。
そこで夫は次のようなことを話したそうだ。
通園施設のありかたについて、次のような不満がある。
通所のための交通手段をもう少し配慮してもらいたい。自家用車で行くことを許されず、通園バスを利用すると、往復で約2時間かかる。本人だけでなく、家庭にかかる負担も大きい。まるで「イヤなら通うな」といわれているような気がする。
障害児を集めて保護する目的の施設に、なぜ障害児療育の専門家がほとんど関わっていないのか。言語療法士や心理関連の専門家が、日常的・積極的に療育に関わるべきではないのか。これじゃまるで病院に医師がいなくて看護婦・看護士だけで運営しているのと同じじゃないか。
療育の専門家が関わらない施設であるのに、児童が外部の専門的な療育の場に頼ることについて、施設の職員が否定的な態度をとるのは、不当ではないのか。
親としては少しでも我が子が社会的自立の可能性を持てるように療育していきたいと思うのに、施設の掲げる目標は見えにくく、見えても低い。
「近い将来は特殊学級か養護学校、その後は施設入所か運がよければ障害者のための作業所勤務で月一万ほどの小遣いをもらえる」なんて言われても、今から納得できるわけがない。だいたいここの施設には三年も通うのに、少しでも話せるようになったり、知的にレベルアップした子供がこれまでいたのか。え、いない? それじゃ何のために我々は子供を通わせるのだ。療育のためじゃなくて保護のため? ああそうなの。そういえばそういう書類を児童相談所に出したっけな。保護ね。で、訓練や療育は本来の目的じゃないと。ようするにだ、知的障害児を知的障害者に無事育てあげる以外のことはする義務がないと、そういうことだね。コドモの可能性も希望も人生も、問題じゃないと。大いに問題ですな。なに考えとんのじゃ。そんなんで親がナットクできるかい! なんとかせんかい、と上の人にお伝えください。じゃ、どうも。
以上のような陳情の結果、自家用車で通う場合の駐車場に関しては、自治体で何とかできるであろうという答えが即座に返ってきたそうだ。言ってみるもんだね。
(2001年6月22日)
※過去日記を転載しています。