こんにちは。
あまり動かない一日だった。
体調が悪いとかじゃなくて、身体を動かす気力が全くない感じ。
かといって、抑うつ気味というわけでもなく、読書はしたし、食事も取れている。
一応、胃腸炎の病み上がりなので、養生という名目で、不動を自分に許して過ごした。
夜、夕食後になって、少しづつ動く気力が戻ってきた。明日には出歩けそうだ。
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夕方、ケアマネさんから電話をいただいた。
息子が将来的に入居できそうな、近隣の障害者施設のリストを送ってくださるとのこと。
出来るなら、気軽に会いに行ける距離にいて欲しい。難しいかもしれないけど。
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スーザン・ソンタグ「隠喩としての病」を少し立つ読んでいる。
紙の本だから長時間読めないというのもあるけど、一段落読むごとに、思考があっちこっちに飛んで行って、あれやこれや調べるので、少しづつしか読み進められない。一気に読んでしまうべき本ではないので、それでいいのかもしれない。
致死的な病気が、悲劇を構成する要素にされるのは、珍しいことではなかったはずだけだど、近頃は、そういう物語があまり大きな話題になっていないように思う。
私が中学生くらいの頃、「赤い疑惑」というテレビドラマが大人気だった。私は視聴しなかったので、詳しいストーリーは知らないけれど、ヒロインの山口百恵が放射能に被爆して白血病になり、恋人の三浦友和を残して亡くなるという悲劇だった。
あのドラマのおかげで、「白血病」に、薄幸の美少女、悲恋というイメージが強烈に結びついたのではないかと思う。
子どもの頃にはよく分からなかったけれど、現実に難病児の親になり、自分でも結構な大病を経験してきた今になって、こうしたドラマに対して思うのは…
闘病と病気の需要だけでも大仕事なのに、秘密にされていた実の母がパリにいるだの、恋人が血の繋がった異母兄だっただの、逃げ場のない患者に余計な心労をぶちこんで絶望の深度を増すとか、シナリオ書いた人、いくらなんでも十代の少女に対して鬼すぎやしないだろうか?
誰が書いたのかと思ったら、Wikipediaに「橋田壽賀子、他」とあった。
複数人の執筆なのだろうけど、渡る世間が鬼ばっかりの脚本家さんが、シナリオの鬼要素を生成していたのかもしれないと、なんとなく思った。
Wikipediaに、橋田壽賀子氏は、テレビドラマ「愛と死をみつめて」の脚本を書いて有名になったのだとか。放映されたのは1964年。私はまだ二歳だったので、見だ記憶はないけれど、この作品から生まれたという、「愛と死を見つめて」という歌は、大人が口ずさむのを聞いていたので、よく覚えている。
歌に出てくるのが「マコ」と「ミコ」なので、結構長いこと、女性同士の恋愛関係なんだろうと思っていたのだけど、「死」をもたらしたのが骨肉腫という病気であるという情報は、かなり早い時期に知っていた気がする。
誰に聞いたのだろう。
情報元の記憶はないけれど、関連する記憶として、アニメ「巨人の星」で、星飛雄馬と親しくなった少女が、悪性黒色腫(メラノーマ)で命を落とすというエピソードがあったために、「愛と死をみつめて」の印象と重なって、「腫瘍で命を落とすのは少女」というイメージの刷り込みが強化されたことは、なんとなく覚えている。
こうやって、隠喩としての「病」は世の中で培養されていくのだろうけど、新型コロナはどうだろうか。