湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記

こんにちは。

 

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今日は快晴だけど寒い。

 

午前中、亭主とショッピングモールに出かけた。

亭主が買い物をしている間に、私はマイナンバーカード申請のための証明写真を撮ってきた。

 

証明写真の撮影なんて何年ぶりか分からない。

おそるおそるカーテンを開けて箱の中に入ったののだけど、機械の案内に従ってボタンをポチポチ押していたら簡単に終わった。

 

何日が前に撮った亭主が、

 

「画面表示が全部ロシア語で訳わからんかった」

 

と言っていたけど、もちろんそんなことはなかった。むしろどうやったらロシア語になるのかわからない。🪆

 

(_ _).。o○

 

亭主は昨日から冬休み。

長女さんは就労支援。 

息子は介護施設通所。

 

末っ子は今日が終業式。夜は塾のクリスマスパーティだそうで、明日から冬休みに入り、冬季講習も始まるようだ。共通テストまで、一ヶ月を切ってしまった。どうなることやら。😱

 

私は今日は特に予定がないけど、明日は通院がある。忘れずに行かないと。

 

(_ _).。o○

 

Twitterで、「ギフテッド」がトレンドに入っていたので、何事かと思ってニュースを探してみたら、文科省がギフテッド支援のための予算を計上したらしい。

 

突出した才能を持つ「ギフテッド」支援に予算8000万円計上も額の少なさに「何ができるの?」「桁が2つ違う」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

 

 文部科学省が、欧米などで「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能を持つ子どもを支援するため、2023年度予算で8000万円を計上する、と12月22日の「読売新聞」が報じている。

(中略)

 

 ただし、この8000万円という予算は、教育委員会や大学に授業づくりの検討を委託するものであり、本格的に全国で展開されるのはまだ先になりそうだ。

 

「ギフテッド」とは、Gift=贈り物を語源とし、生まれつき突出した才能を授かった人のこと。「並外れた集中力」や「深く激しい感情」などの特徴があり、知的能力の発達が年齢相応でないことも多く、普通の学校の授業が簡単すぎて興味が持てず、不登校になるケースもある。

 

「テスラ」「スペースX」などを率い、Twitterを買収したことでも話題になったイーロン・マスクは2021年、自らがアスペルガー症候群自閉スペクトラム症)だと明かしており、「ギフテッド」のひとりとされている。

 

 アメリカでは飛び級など、「ギフテッド」に対する教育プログラムが用意されており、フェイスブック(現メタ)創業者のマーク・ザッカーバーグも、そのプログラムの卒業生である。

 

どのような形の支援になるのか分からないけど、まず現場の先生方の正確な理解を促す方向でお願いしたいものだと思う。

 

就学後にADHDと診断されていた末っ子が、小学四年でギフテッドであると分かったとき、それを学校に報告すべきかどうか、かなり考えた。

 

当時の末っ子はクラスになかなか適応できず、宿題や書類などの提出も自力では難しかったため、私が毎日学校に届けていた。宿題については、泣き叫んで全く手をつけられないことも多かったため、担任の先生に障害特性を相談の上、提出を保留してもらうことも多かった。もちろん成績もふるわかなった。

 

そういう状況で、IQの数値を添えてギフテッドだと告げたところで、学校側も困惑するだけだろうと思ったのだ。

 

けれども、高学年になったとき、このまま公立中学に進学しても不登校になる未来しか見えなかったので、末っ子のような子にも対応してくれそうな私立中学の受験を考え始め、当時の担任の先生に、初めてギフテッドの件を報告してアドバイスを求めたのだけど……

 

理解は全くされなかった。(´・ω・`)

 

いまでも、面談中の担任の先生の、

 

『はあ? なに言ってんだ、このバカ親』

 

という侮蔑の表情を、まざまざと思い出すことができる。

 

まあそりゃ、宿題はほぼすっぽかし、授業もろくに聞いている様子がなく、テストをすればろくにできず(漢字の書き取りなど酷い有様だった)、机の中は教室のゴミ箱より汚らしく、癇癪もちで、クラスメートとの交流もほぼないような児童のIQが140ありますと母親に言われても、信じられないのは無理もない。

 

ただ、私立受験については、担任の先生も賛成してくれた。地元中学は不登校やいじめの多いことで知られているようなところだったので、末っ子のように周囲に馴染めないタイプの子は出来ることなら避けたほうがいいというご意見だった。それについては私も同意見だったので、ありがたく拝聴した。

 

ギフテッドは、いわゆる秀才や、「よく出来る子」とは、全く違うものだと思う。

 

むしろ学校のような集団生活では、末っ子のように、うまくいかない問題を複数抱えて困り果てて、周囲に魯鈍な子どもだと思われている場合も少なくないと思われる。

 

幸いにして、受験で進学した中学も高校も発達障害やギフテッド教育的なことに理解のあるところだったことと、末っ子と似たり寄ったりの「変わり者」でない生徒のほうが少ないような環境だったため、末っ子は不登校になることもなく、話の合う友人たちにも恵まれ、成績は、好きな教科以外はそれほど振るわなかったものの、のびのびと学校生活を楽しむことができたようだ。

 

ちなみに、末っ子にとって嫌なことの多かったと思われる小学校の記憶は、脳内でデリートされつつあるらしい。

 

文科省のテコ入れで、ギフテッドの子どもたちへの対応がどこまで改善されるかは分からないけれども、現場の先生がたの理解が進んでくれば、誤解されて苦しむ子は減るかもしれない。そうであってほしいと願う。

 

 

 

ねこたま日記(この10年)

こんにちは。

 

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今日はちょっと体調がよく、身体が軽い。

とはいうものの、無理せず、ゆっくり動いている。

 

あと数日で年齢の十の位が一つ上がる。

とくに感慨もないけれども、この10年で何をやっていたのかを咄嗟に想起できないことに呆然とする。

 

ほんと、何やっていたんだろう。(´・ω・`)

 

 

10年前というと、長女さんは高校一年で、息子は特別支援学校の中等部三年だったはず。で、末っ子は小学2年。

 

うん。

大変だった。

 

長女さんは持病(小児慢性特定疾患の一つ)と、強い抑鬱…いまなら発達障害による不適応だったと分かる…のために、地元の中学を完全不登校のまま卒業し、通信制高校とそのサポート校の両方に進学している。中学三年間は長女さんより私のほうが頻繁に登校し、そして、揉めた。あまり思い出したくないけれども、当時、病気のための不登校に対する学校側の理解は、ミジンコよりもちいさく、なんとか教室と自宅の長女さんとを繋げたいと願って連絡帳を持って通っていた私は、忙しい担任や学年主任の先生方に、ただただ持て余されていた。

 

あの頃、義務教育の現場に今のようなネット環境があれば、長女さんは不登校にならずに済んだかもしれない。同じような境遇の生徒たちの何割かは、おそらく救われていただろう。その意味で、新型コロナ禍のもたらした影響は、決してマイナスのものばかりではないと思う。

 

息子は地元の小学生の特別支援学級から支援学校へ転入し、そこで高等部まで通った。息子にとって、支援学校の6年間は幸せな体験だったらしく、いまでも卒業アルバムを懐かしそうに眺めていることがある。

 

けれども私にとっては、親のお付き合いやPTAでストレスを溜め込む日々でもあった。子どもが3人もいると、PTA役員の回ってくる回数も否応なしに増えてしまう。結局3人分で7回役員をやった。そのうち一年は小学校と支援学校の執行部役員の兼任だった。執行部などに立候補するつもりなどなかったのに、通常の役員希望のプリントと間違えて記入してしまった立候補用紙をうっかり捨て忘れていたら、息子が見つけて、勝手に提出してしまったのだ。提出物は連絡袋に入れて登校するということを几帳面に身につけていたためだけれども、学校から電話が来て「希望の役職が未加入ですが、副会長でいいですか?」と聞かれたときは、全く意味が分からず、ただただ困惑したものだった。まあ、いまとなっては笑い話だけれども、あの日々は本気でキツかったし、のちのうつ病発症の一因でもあったと思う。人間、全く向いていないことからは全力で逃げるべきだと学習した。

 

末っ子の小学校時代は、まさにカオスの一言だった。2歳になる前にひらがなを読んでみせて親を驚愕させた末っ子だけれども、隣の席の男の子とトラブルを起こして小学校入学1週間で登校拒否をかまし、担任の先生と深く深く相談することになった。

 

宿題は全面拒絶。

とくに国語の文字の練習、漢字の書き取りを死ぬほど嫌がり、手を持ってやっても書こうとしなかった。算数は足し算で絶叫、くりあがりのあるレベルになると、号泣して拒絶するのでどうにもならず、担任に事情を話して宿題を免除してもらったりもした。

 

忘れ物、紛失物は日常茶飯事で、毎日鉛筆や消しゴムを無くして帰ってくるのにはほとほと困った。ときには衣類やランドセルを忘れてくることさえあった。そのあたりは私の幼少期と似ていたのだけど、私は筆箱の中身が3日で入れ替わるほどではなかったし、ランドセルを忘れて下校したこともない。これは、ただごとではないと思って頭を抱えた。

 

担任の先生に、末っ子が教室では全く声を出さず、無表情で過ごしていると聞き、自宅での大癇癪炸裂の暴風っぷりとの落差に眩暈がした。

 

勉強の拒否については何らかの学習障害ではないかと疑って、息子が通っていた療育教室に相談し、発達障害児としてお世話になることになったものの、小学三年になっても全く改善せず、私は担任の先生との「お話し合い」に通う日が続いた。提出物も自力では出せないため、連絡帳なども含めて、毎日直接職員室に届けに行った。行動療法的アプローチは、末っ子にはほとんど効果がなかった。

 

その後、療育教室の先生の勧めで、大きな病院の発達障害外来を受診し、ADHDという診断をもらい、漢方薬などを処方してもらったのだけど、味覚過敏気味の末っ子を服用を拒絶。

 

ところが処方をコンサータに切り替えた途端、末っ子は激変した。宿題を普通に片付けるようになり、テコでもやろうとしなかった漢字学習をあっさり克服。他の教科でも困ることはなくなった。コンサータが奏功している状態で知能テストを受けたところ、IQ140。ギフテッドだと言われた。特に言語系の能力が高いという。

 

ギフテッドについて、ほとんど何も知らなかったので、ネットなどで情報を集めたところ、教育にはいろいろと配慮する必要があるらしいと分かり、療育教室の先生の勧めもあって、私立中学へ進学させることを考えはじめた。そのままいくと、長女さんが不登校を完遂した地元の公立中学に進むことになるけれども、定型発達ではない生徒に対する無理解のひどいことがわかっている学校に通わせる気にはなれなかった。

 

とはいうものの、中学の「お受験」など自分でも未経験だし、近隣の私立学校の情報もない。どうしたものかと思ったものの、餅は餅屋、受験は専門家に任せるべきかということで、家から徒歩20秒のところにある学習塾に相談し、そこに入塾した。結果、小学6年生の末っ子は、療育教室二つと、学習塾一つに通うことになった。

 

当時の私は、長女さんの通院とカウンセリング(あわせて月5回ほど)、息子の登校と役員仕事と療育教室(土日以外ほぼ毎日)、末っ子の療育と受験勉強のつきあいで、ほぼ忙殺されていたと思うのだけど、一体どうやって暮らしていたのか、もはやあまり覚えていない。思い出せないほど、異様な生活だったのだろう。

 

その後。末っ子は中学に合格。

勉強は、ほどほどをキープ。赤点だけは絶対に取らないというのをスローガンにして、現在までそれを守っている。地獄のような忘れ物体質は、宿題を全部学校で片付け、教材その他授業で使うものはすべて学校に置いて帰るというやり方で「克服」したようだ。

 

息子は支援学校高等部を卒業して介護施設への通所を開始。並行して福祉サービスでの遠足なども利用。コロナ感染その他、まあいろいろあるけど、基本的に楽しく通っている。

 

長女さんは専門学校に進学し、頑張ったけれども、2年目に入って精神的にきつすぎて休学。その後、福祉のボランティア活動や、介護施設等でのアルバイトをしていたものの、本格的に調子を崩してしまって長期入院となる。その時点で、自閉症による不適応からくるストレスによることが明らかとなって、人生や生活環境の根本的な見直しを迫られることとなった。それが去年のことで、今年も春に同じように不調となって長期入院したものの、いろいな折り合いがつくようにもなってきて、いまは通院とデイケア、カウンセリング、就労支援施設での作業をルーティンとして、ずいぶん落ち着いている。ここまでくるのに時間はかかってしまったけれども、有難いことだと心から思う。

 

というような暮らしを送りつつ、うつ病の治療過程でADHD自閉症の診断をもらい、新型コロナ肺炎とその後遺症やらで体を壊すというのが、この10年の私だった。

 

ここまでざーっと書いてみて、亭主の話が全く出てきていないけれども、私が病気で倒れたり、過敏性腸症候群のおかげで外出がままならなくなったりしたときに、家事をやって学校行事に全部参加してくれたのが亭主だったことは言うまでもない。

 

切に願う。

次の10年は、できることなら、もう少し穏やかに暮らしたい。

 

(´・ω・`)

 

 

 

 

 

 

過去日記

少し具合がいいので、パソコンを立ち上げて、過去日記をここに転載する作業を再開した。

 

まず、息子が小学二年のころの療育日記。

2005年だから、17年も前になる。

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

この日記に書いている「わざと失敗する」という息子の癖は、24歳になった今も形を変えて続いている。

 

ズボンは必ず後ろ前にはく。

トレーナー類は、必ず裏返しの後ろ前に着る。

 

百パーセント間違えるのだから、確実にわざとやっている。

 

「裏返しだよ」と声をかけると、そそくさと直すのだから、間違いない。

 

 

間違えるのが嫌だからやっているというよりも、もはや「最初は間違える」というのが儀式化してしまっているように思える。

 

そういえば、靴の左右も根深く間違えつづけていたけど、この数年は正しく履くようになった。

 

できれば三十歳ぐらいまでには、最初から正しく身に着けられるようになってほしい。そのためには、儀式として固着した手順を打破しないといけないのだけど……骨が折れそうだ。

 

 

次の日記も、17年前の上と同じ日に書いたもの。

息子の療育が、期せずして末っ子の超早期教育になっていた、という話。

 

書いた本人は完全に忘れていたけど、そういえばこんなこともあったのだった。

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

この日記の当時、末っ子は生後五か月だった。

 

こういう日常を送った結果、どうなったかというと、末っ子は一歳十か月くらいから、いきなりひらがなを読み始めるのである。

 

長女さんが文字を覚えたのは二歳半ぐらいで、それでもずいぶん早いと思っていたけど、一歳台で字を読むようになるというのは、さすがに想像できなかった。人に話しても、ほぼ間違いなくウソだと思われるのだけど、間違いなく読んでいた。現場を目撃した公文の先生に入会を勧められたりもした。一歳児なのに。

 

もっとも末っ子の知能の発達は、その後とんでもない蛇行跛行を繰り広げ、母親の顔がゾンビ化しそうなことになるのだけど、それについての日記も、いずれ転載できると思う。

 

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(↑ひさびさに、pixabayから写真をお借りした。)

 

 

 

 

ダークファンタジーとコロナと年金

こんにちは。

 

魔物語

 

一昨日あたりから、ケイト・ブッシュを聞いている。

 

魔物語

魔物語

 

 

学生の頃に、よく聞いていた。

 

アップルミュージックで聴き放題できることに気がついて、読書のかたわら、ずっと流している。

 

人ならざるものの無邪気で危険な美しさがあって、ダークファンタジーにぴったりな歌声だと思う。ラノベ系にはあまり合わないかもしれない。

 

昔読んでいた、タニス・リーの長編シリーズを思い出す。

 

 

死の王 (ハヤカワ文庫FT)

死の王 (ハヤカワ文庫FT)

 

 

ハッピーエンドでは終わらない、美しいけれども皮肉で残酷なファンタジー。ひさしぶりに読み返したくなった。

 

本はまだ家にあるはずだけど、探すのに半年はかかりそうだ。(´・ω・`)

 

Wuthering Heights (New Vocal)

Wuthering Heights (New Vocal)

 

今日は、長女さんから借りた「東京喰種」を一気読みする予定。

 

 

 

「東京喰種」とか「デス・ノート」みたいなマンガ作品って、ジャンルとしてはファンタジーになるのだろうか。それともSFなんだろうか。

 

「脳噛みネウロ」や「暗殺教室」はどうだろう。

 

銀魂」なんて、もはやなんだかわからない。SFナンセンス人情時代劇だろうか。

 

幼女戦記」も異世界転生ファンタジーといえばそうなのだけど、戦争の質感とかが、20世紀初頭の近代戦争を取り扱った歴史物みたいなので、読んでいてファンタジーだと感じることがあまりない。軍人が魔法で空飛んでたりするのに。

 

 

幼女戦記(19) (角川コミックス・エース)

幼女戦記(19) (角川コミックス・エース)

 

 

 

最近のジャンル分けに詳しくないのでよくわからない。というか、昔ながらのジャンル分けが当てはまらない作品が増えている気がする。そして、分けにくいものほど面白い気もする。

 

あ、でも「魔法使いの嫁」みたいな、正統派ファンタジーの流れを汲んでいる漫画も好きだ。最新刊、まだ買ってなかった。お正月の楽しみにとっておこう。

 

 

 

 

 

コロナ

 

息子が濃厚接触者となってしまった可能性があることが、昨日わかった。いま、保健所関連の判断待ち、連絡待ちである。

 

いまのところ、家族の誰にも症状らしきものはない。強いて言うなら私が昨夜微熱を出していたけど、そんなものはちょっと疲れたたけで年中出してるから、たぶん違う。

 

厚生労働省のホームページに、家族に濃厚接触者が出た場合にどうすべきかが書かれていたので、それに従うつもりである。

 

幸いにして、亭主は年内に出勤の予定がない。

 

息子の介護施設通所については、事態が明確になるまでは自粛するつもりである。

 

末っ子は明日学校を欠席させた上で、連絡を入れて、今後のことを相談しようかと思う。

 

家族の発病はなんとしても避けたい。

勘のいい長女さんが「おそらく大丈夫だ」と言っているので、わりと全力で当てにしている。

 

万が一、うちも感染したとなれば、息子や長女さんのお世話になっている福祉施設の関係は、ほかの利用者やスタッフに感染者がいなくても、しばらくの休業および一切消毒となるはずだ。

 

もっと悪いのは、うちと繋がっている福祉サービス関連でクラスタがでることだ。近隣の老人ホーム、特別支援学校、小中学校の特別支援学級など、福祉サービスで直接間接に触れ合っている機関がたくさんあるのだ。皆無事であってほしい。

 

 

障害年金

 

長女さんの障害年金が降りることに決まったという連絡があった。申請したのが今年の6月で、9月に審査遅延の連絡があった。普通は3ヶ月ほどで結果がわかるようだけれど、新型コロナの影響で、5ヶ月かかったことになる。

 

ダメ元とは思っていたけど、もらえることになって、本当によかった。

 

息子は二十歳になったときに、既にもらっている。

亭主の定年退職はまだ先だけれど、そう遠い未来でもなくなっている。子どもたちの生活の支えは、少しでも多い方がいい。

 

申請書類は、全部親が書いた。

詳細な生育歴を記載するにあたって元になったのは、子どもたちに難病、障害があるとわかってから書き続けていた、私の日記の記事である。書いて残していなければ、忘れてしまったことも多かったはずである。

 

 

重度の障害や難病のお子さんのおられる方々には、ブログでもなんでもいいから、とにかく記録(具体的な症状や問題、通院等の正確な日時など)を書いて残しておくことを、強くお勧めしたい。

 

幼少期からのかかりつけの病院があっても、その病院や、子供のカルテが、成人後まで残っているとは限らない。主治医だった医師も転勤や退職でいなくなる。学校や療育機関とも、ずっと繋がっていられるわけではないし、記録を残しておいてもらえる保証もない。出生時からの我が子の人生の記録を継続的に保持できるのは、家族だけなのだ。

 

ということを、障害年金申請で痛感した。

 

 

コロナ続報

 

と、ここまで書いたところで、保健所関連の連絡が来た。

 

どうやら息子は濃厚接触者にはあたらないと保健所が判断したようだ。

 

具体的には、感染者に濃厚接触した人に接触した人と接触した……という状況だったようだ。直接介護を担当していない職員さんが感染したということなのだろう。

 

発症してしまった方も、いまは落ち着いているとのこと。よかった。

 

というわけで、とりあえず明日は様子を見るけれども、とりあえずは家族全員での完全引きこもりは必要なさそうだ。

 

 

 

新生児とVAN HALEN・やすりと永谷園

こんにちは。

 

広告

 

ここのところ料理本関係の日記を書くことが増えているからか、google広告で食品や調理器具が表示されることが増えてきた。

 

それはいい。

 

でも、これはいったい何なのか。

 

 

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サラミ……にしては、真ん中の黄緑色の管がおかしい。

薄切りのサラミに、こんな管を通す意味が分からない。

 

それに、よく見ると、サラミの縁が毛羽立っている。

加工した肉が毛羽立っていたら、それは間違いなく異常事態だ。

 

興味が抑えきれず、商品名を確認するために広告をクリックした。

知らない通販サイトに飛んで、商品名が表示された。

 

オフィスマイン(mine) マイン レッドクロスホイール(60X260mm) (1個入) SRM-R1 1個 755-0286(直送品)

 

商品説明が、なにもない。

よけい分からなくなった。

 

同じものがAmazonにないかと思って探してみたら、あった。

 

 

 

マイン レッドクロスホイール(60X260mm) SRM-R1

 

 

何に使うものかは分からないが、「DIY・工具・ガーデン」のジャンルでの売れ行きランキングが「469,661位 」だと表示されている。サラミではなかったようだ。

 

同時購入をお勧めされている商品のなかに、サンダー(sander)云々という商品名のものがあるから、たぶん研磨機のやすり部分なのだろう。

 

なんでこんな肉肉しい色に染めたのかは謎だ。

 

なんとなく、ad/dcのあの曲が聞きたくなった。

 

 


AC/DC - Thunderstruck (Official Video)

 

Thunderstruck

Thunderstruck

  • AC/DC
  • ハードロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

サンダー違いだけど。

 

VAN HALEN

 

話が全く飛ぶが、VAN HALENのエディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなったらしい。できるだけ報道を目に入れないようにして暮らしているので、ニュース記事ではなく、追悼記事を書いておられる方々のブログで知った。

 

享年65歳だそうだ。早いなと思うけれども、癌を患っているという話を知ったのは、もうずいぶん前だった。

 

長い間、闘病されていたのだろうか。

 

 

私がVAN HALENの曲を聞き始めたのは、1996年6月の、おそらくは14日か15日、午前5時台からのことである。

 

日時が微妙に詳細であるのには理由がある。

 

そのとき私は、最初の出産を終えた数日後で、まだ産院に入院中だった。

出産の翌日から母子同室という方針の産院だったため、生まれて初めて触る新生児に、おっかなびっくり授乳し、着替えをさせ、おむつを替えるという、全く不慣れな作業に明け暮れていた

 

この新生児が、とにかく寝ないヤツだった。

 

出産前にマタニティ本で予習したところでは、新生児というものは、おおむね三時間に一回おっぱいを飲んで、あとはほとんど寝ているものだという話だったのに、授乳後にちょっとばかりうとうとしたかと思うと、30分もたたないうちに、うえーいうえーいと泣き出すのだ。

 

当然、私も30分きざみの睡眠しかとれず、ほぼ夜通し、新生児を抱いて、入院中の部屋と授乳室の間をうろうろしていた。

 

たぶん母乳が足りていないのだろうとは思ったけれども、既製品のミルクは極力使わない方針の産院だったため、助産婦さんたちには(呼称が「助産師」に変わる前の時代である)、とにかく出せ、出るまで頑張れと、体育会系のノリで叱咤されるばかりだった。

 

そんな状態が三日も続くと、いくらお産でハイになっていても、だんだん気持ちが参ってくる。

 

周囲が賑やかな昼間は、まだいろいろと気が紛れるけれとも、深夜から明け方にかけての時間は、授乳室にも人が少なくて寂しいので、ほぼエンドレスでぐずり続ける新生児を抱っこしたまま、ベッドのある個室でぼーっとしていた。

 

外がしらじらと明るくなってきたころ、なんとなくテレビをつけてみた。

明け方のそんな時間なのに、ドジャーン! ジャカジャカジャカという感じで、いきなりハードロックが流れてきた。それに続いて絶叫モードの歌声。

 

画面の下のほうにヴァン・ヘイレンという文字が見えた。

 

あー、この人たちが、やかましい楽曲で有名なヴァン・ヘイレンかと思った。

 

ロックに疎い私がヴァン・ヘイレンという名前を知っていたのは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、両親の青春時代にタイムスリップしたマイケル・J・フォックスが、ヘタレな父親をたたき起こして脅すために、ヴァン・ヘイレンの曲を大音量で聞かせるというシーンがあったからだ。

 

明け方のハードロックは、寝不足の頭にとても沁みた。心地よいとさえ思った。

 

けれども、終日オルゴールが流れているような産院の入院病棟に、ヴァン・ヘイレンはまずいだろうと、チャンネルを変えようとしたところ、ついさっきまでぐずりまくっていた新生児が、いつのまにか眠っていた。

 

そのままヴァン・ヘイレンを流し続けていたけれども、新生児は爆睡したまま、三時間ほど起きなかった。

 

退院して、自宅に戻ってからも、いろいろとCDを聞かせてみたところ、やはりロックでの寝つきがいいことが分かった。

 

VAN HALENやクィーンなどのミュージックビデオを、育児中にどれほど繰り返し視聴したか分からない。

 

目的が子どもを寝かすためであったとしても、ずっと聞き続けていれば、曲が心に入って来る。VAN HALENのさまざまな曲は、自分にとっても、次第に元気のもとになっていったように思う。

 

エディ・ヴァン・ヘイレンさん、どうか安らかに。

お世話になりました。

 

 

蛇足

この記事を書いているあいだに、googleの広告写真の毛色が変わった。

 

 

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食パン、永谷園のとろみつきお茶漬け海苔……他はよくわからない。

 

左下の、おがくずのようなものが詰まった透明なケースがどうしても気になるので、通販サイトに飛んでみたら、指サック用ディスペンサーなのだそうだ。指サックは、光学産業・樹脂部品などを取り扱う現場での必需品であるらしい。

 

広告のおかげで、また一つ知らない世界を知った。

 

永谷園のお茶漬け海苔のほうも気になるので、ちょっと調べた。

どうやら、介護現場で使えるように、「とろみ」のある商品が出始めているらしい。

 

 

news.nissyoku.co.jp

 

マイ永谷園は、高齢者が飲み込みやすい「やさしいとろみのお茶づけ海苔」を介護施設に届ける。販売順調な商品力をターゲットに直接伝える。7月末に通所介護施設で初めてサンプリングを行い、消費者、施設と情報交換した。定番品のブランドシフトが支持され、用意したキャラバンカー、遠藤関パネルも好評だった。他メーカーとの協業も探り、介護専用品の認知度を高める。

 

 

試してみたいと思うけれども、いまのところスーパーなどでは見かけない。

介護施設などで、まとめて発注する感じなのかもしれない。

 

一般家庭でも、たぶんニーズは高いと思う。お茶漬け海苔の、ノリやあられは、嚥下に問題のある人にとっては、のどにひっかかって危ないと思うから。