湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌メモ(古今和歌集・壬生忠岑)

今回は、壬生忠岑の秋風の歌。

 

 

壬生忠岑

 

秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ

 

(あきかぜに かきなすことの こえにさえ はかなくひとの こいしかるらむ)

 

古今和歌集 巻第十二 恋二 586

 

【語釈】

 

はかなし……

・頼りない。虚しい。

・あっけない。些細なことだ。ちょっとしたことだ。

・たわいない。取るに足りない。

 

らむ……目の前の事態から、その原因や理由などを推量したり、疑問に思ったりする場合に用いることもある助動詞。

 

この歌のなかには、疑問を表す表現はないけれど、作者にとっては自明のことである、自分自身の「はかなく人の恋しかる」という心情を推量するというのはおかしい。

 

そのため、「なんで俺はこんなことになってるんだ!?」というふうに、原因や理由に対して疑問を投げかけていると解釈する。

 

 

【怪しい意訳】

 

恋って、マジで厄介。

自分の心がまるでコントロールできなくなるから。

 

秋風の吹く日に、琴の音色を聞いた。

たったそれだけのことで、もうあの人のことで頭がいっぱいになってしまう。

 

なんで、こんなに恋しくなるんだろうか。

 

どんなに思ったって、報われることとのない、虚しいだけの恋だって、分かってるはずなのに。

 

ほんと、しんどいな…

 

 

 

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新訳 古今和歌集

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ちなみに本書では、上の歌を次のように訳している。

 

【訳】秋風の吹く中、どこかでかき鳴らす琴の、その声にさえ、どうして甲斐もなくあの人が、恋しくなるのだろう。

和歌メモ(古今和歌集・紀貫之)

今回は、古今和歌集紀貫之の冬の歌。

 

巻第六に、雪を花に見立てる歌が二首掲載されているので、まとめて怪しい意訳を作ってみた。

 

冬の歌とてよめる

 

             紀貫之

 

雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける

 

(ゆきふれば ふゆごもりせる くさもきも はるにしられぬ はなぞさきける) 

 

 

古今和歌集 巻第六 冬歌 323)

 

【怪しい意訳】

 

冬になって、草木はすっかり冬眠状態。

人も同じ。寒いから身も心も引きこもっちゃって、感動から遠ざかって、辛気臭く暮らしてる。

 

でも、冬ってそんなにつまらないかな。

 

雪を纏った草木には、春とは違った華やぎがあると思わない?

 

日の光が当たるとキラキラ輝く花なんて、春にだって咲かないよ。

 

冬の間ずっと、鬱々と過ごすのはもったいない。

心を自由にして、いま、この時を楽しまなくちゃ。

 

というわけで、真冬のアバンチュールのお誘いです。僕とこっそり、雪見デートなんて、いかがですか?

 

え、寒いからヤダ?

 

まあ、そうだよね、うん…

 

 

 

雪の木にふりかかれりけるをよめる

 

           紀貫之

 

冬ごもり思ひかけぬを木の間より花と見るまで雪ぞふりける

 

(ふゆごもり おもいかけぬを このまより はなとみるまで ゆきぞふりける)

 

古今和歌集 巻第六 冬 331

 

 

 

【怪しい意訳】

 

引きこもってて気づかなかったけど、今日って、雪、無茶苦茶降ってるじゃん。

 

庭木の枝の間から空を見上げていたら、降る雪に目が囚われて、そのまま空に吸い込まれそうな気分になったよ。

 

この感じ、桜が一気に散るときと似てるかも。

 

ワクワクするような、切ないような、なんだか不思議な気持ちになる。

 

うーん、やっぱり雪見デートしたいなあ。

また断られるかな。

ダメ元で、メールしてみるかな。

 

 

 

新訳 古今和歌集

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和歌メモ(柿本人麻呂・万葉集)

今回は、柿本人麻呂の雪の歌。

 

沫雪は千重にふり敷け恋ひしくの日長き我は見つつ偲はむ

 

(あわゆきは ちえにふりしけ こいしくの けながきわれは みつつしのはむ)

 

万葉集 巻第十 2334

 

 

⚪︎沫雪(あわゆき)……積もることなく解けてしまう、はかない雪。

 

⚪︎千重(ちえ)……幾重もの重なり。

 

⚪︎日(け)……日々。

 

⚪︎日長し(けながし)……日数が長く経過している。

 

⚪︎偲ぶ……賞美する。愛でる。

 

作者は、解けやすい沫雪に、解けずに降り積もれと、無茶なことを命じている。

 

だいぶ、ヤケクソなのだろうか…

 

 

【だいぶダメな意訳】

 

ふわふわと地面に落ちては、あっけなく消えていく沫雪たちよ。

 

解けることなく幾重にも降り積もって、あたりを埋め尽くせ。

 

根性出して、このつまんない風景を、真っ白に変えて見せてくれよ。

 

え?

無茶言うなって?

 

わかってるさ。

沫雪に豪雪化しろっていうのは、いたいけなチワワにケルベロス化しろってのと同じくらい、無理だよな。

 

だけど、恋し続ける日々が重く降り積もっちゃって、もう気持ちの持って行き場が見つからないんだ。

 

心の中、除雪不能なの。

重くてしんどいの。

ほんと、マジで。

 

だからせめて、沫雪の奴の本気を見たいんだよ。

そしたら、凍えそうな俺の恋心も、慰められる気がするんだよな。

 

 

 

 

和歌メモ…葛の紅葉

蔦の紅葉を詠んだ和歌を探している。

 

前回の藤原定家の和歌の記事に書いたように、平安時代勅撰和歌集集には、蔦を詠んだ歌が掲載されていない。

 

和歌メモ・蔦の紅葉(新古今和歌集・藤原定家) - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

新古今和歌集の蔦の歌は、定家の一首のみ。

「蔦」という言葉が、さかんに歌に詠まれるのは、鎌倉時代以降で、夫木和歌抄(鎌倉時代後期成立)には複数収録されているらしい。

 

夫木和歌抄は、勅撰和歌集に掲載されていない和歌が大量に収録された私選和歌集で、私はこれまでほとんど触れたことがなく、注釈書なども手元にない。

 

なので、そちらは宿題ということにして、今回は、つる系の植物ということで、クズ(葛)を詠んだ歌を探してみた。

 

ツタ(蔦)は、ブドウ科ツタ属。

クズ(葛)は、マメ科クズ属。

 

植物としての種類が違うだけでなく、和歌での詠まれ方もだいぶ違っていて、葛のほうは平安時代にもよく詠まれていたようだ。

 

 

今回取り上げるのは、万葉集の詠み人知らずの歌。

 

黄葉(もみち)に寄せき

 

我がやどの 葛葉日に異に 色づきぬ 来まさぬ君は 何心そも

 

(わがやどの くずはひにけに いろづきぬ きまさぬきみは なにごころそも)

 

 

万葉集 第10巻  2295

 

 

✴︎葛……多年生のつる草。葉の裏は白い。黄色く紅葉する。生命力が強く、海外では「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定されている(Wikipediaによる)。

 

✴︎日に異に……日増しに。一日ごとに。

 

✴︎きまさぬ……尊敬の動詞「きます(来座す)」に、打ち消しの助動詞「ず」の連体形がくっついたもの。「いらっしゃらない」「おいでにならない」「来てくださらない」。

 

✴︎何心(なにごころ)……どのような心。どんな考え。

 

 

 

【てきとー意訳】

 

我が家の庭は、葛だらけ。

 

夏の間、お手入れをちょっとサボっていたら、おそろしいほど蔓延(はびこ)っちゃって、見渡す限り、葛、葛、葛。もっさもさ。

 

そんな怒涛の葛たちも、秋に入って色づいてきて、庭はすっかり黄色くなった。

 

最初の頃は、勢いがありすぎて鬱陶しいと思っていたけど、ずっと見てたら、なんだか愛着が湧いてきたっていうか。

 

葛みたいなモーレツなタイプって、分かりやすくて、嫌いじゃないかも。

 

それにくらべて。

 

前に貴方がうちにいらしたのって、いつだったかしら。

 

来るのか来ないのか、分からない。

 

そもそも何を考えてるのかも、分からない。

二人のこと、将来のこと。

 

葛みたいになれとは言わないけれど、もう少し、気持ちを見せてほしいわね。

 

 

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和歌メモ・蔦の紅葉(新古今和歌集・藤原定家)

 

 

蔦は、古くは万葉集で「岩綱」として詠まれているが、平安時代勅撰和歌集には「蔦」の歌が見えず、新古今和歌集あたりから、蔦の紅葉が詠まれることが増えてきたという。

 

今回取り上げるのは、藤原定家の蔦の歌。

 

詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへる心を

 

藤原定家朝臣

 

都にも今や衣をうつの山ゆふ霜はらふ蔦の下道

 

 

新古今和歌集 巻第十 羇旅歌 982)

 

✴︎うつの山…今の静岡市藤枝市の堺にある峠。宇津の山。駿河国の歌枕。「衣を打つ」と掛けている。「伊勢物語」第九段に、宇津の山を詠んだ業平の歌が出てくる。

 

✴︎衣をうつ……砧(砧)で布を打つこと。布の皺を伸ばしたり、つやを出したりするために行う。中国でも行われていて、漢詩の題材になっている(白居易「聞夜砧)。日本では、明治時代にアイロンが普及してからは廃れた。

 

伊勢物語」第九段の該当箇所を引用しておく。

 

行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かかる道は、いかでかいまする」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

 

駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

 

伊勢物語 第九段より

 

【適当な意訳】

 

ひたすら歩いて行って、駿河国に着いた。

 

宇津の山まで来たのだけど、自分が進もうとする道がやたらと暗くて細い上に、蔦だのカエデだのが猛烈に生い茂っていて、とんでもなく心細くなり、こりゃ酷い目に遭うこと間違いなしと思って絶望していたら、修行のために旅する人と遭遇した。

 

その人が、「なんでこんな道にいらっしゃるんです?」と言うのを見ると、なんと、知り合いだった。もののついでなので、その人に、都の思い人への手紙を届けてくれるように頼んだ。

 

おひさ。

元気してる?

 

いま駿河国の宇津の山なんだけど、ここ、めっちゃ寂しいのよ。人少なすぎて、誰とも会わないの。ほんと、孤独。

 

ねえ、リアルで会えないのは仕方ないとしても、せめて夢の中で会いたいと思うのに、君ってば、ちっとも夢に来てくれないよね。

 

都の暮らしが楽しすぎて、ボクのことなんか、忘れちゃってるんだろうね。

 

というわけで、この手紙読んだら、絶対夢に出てきてよね。

 

………

 

なんか、皮肉で当てつけがましい歌だと思う。

甘ったれている感じも、なきにしもあらず。

思い人は業平より年上の女性だったのかもしれない。

 

 

定家の新古今の歌(982)は、伊勢物語の上の章段と、業平の歌を踏まえて詠まれている。

 

秋の羇旅の歌として詠まれているので、蔦は紅葉していると思われる。

 

 

【いつもながら適当な意訳】

 

ここは、宇津の峠道。

 

艶やかに紅葉した蔦が、頭上に生い茂っている。

 

そのせいで、夕暮れの峠道が、一層薄暗くて、もの寂しい。

 

そして、とっても寒い。

 

歩きながら、ぱんぱんとコートの霜を払っていたら、妻の打つ砧の音が聞こえた気がした。

 

妻が恋しい。

マジで恋しい。

 

きっと妻も寂しがって、俺のシャツを丁寧に整えたりしてるんだろうな。あいつはそういう女だから。

 

今すぐ飛んで帰りたい。

だけど、ここは駿河国。都まで300キロはある。即帰還は不可能。

 

でも、会いたい。

 

今夜、夢で待ち合わせしようって、都に念を送った。

 

君に届け、この思い。

 

 

 

 

 

 

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(pixabayの画像をお借りしました)