湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌メモ(柿本人麻呂・万葉集)

今回は、柿本人麻呂の雪の歌。

 

沫雪は千重にふり敷け恋ひしくの日長き我は見つつ偲はむ

 

(あわゆきは ちえにふりしけ こいしくの けながきわれは みつつしのはむ)

 

万葉集 巻第十 2334

 

 

⚪︎沫雪(あわゆき)……積もることなく解けてしまう、はかない雪。

 

⚪︎千重(ちえ)……幾重もの重なり。

 

⚪︎日(け)……日々。

 

⚪︎日長し(けながし)……日数が長く経過している。

 

⚪︎偲ぶ……賞美する。愛でる。

 

作者は、解けやすい沫雪に、解けずに降り積もれと、無茶なことを命じている。

 

だいぶ、ヤケクソなのだろうか…

 

 

【だいぶダメな意訳】

 

ふわふわと地面に落ちては、あっけなく消えていく沫雪たちよ。

 

解けることなく幾重にも降り積もって、あたりを埋め尽くせ。

 

根性出して、このつまんない風景を、真っ白に変えて見せてくれよ。

 

え?

無茶言うなって?

 

わかってるさ。

沫雪に豪雪化しろっていうのは、いたいけなチワワにケルベロス化しろってのと同じくらい、無理だよな。

 

だけど、恋し続ける日々が重く降り積もっちゃって、もう気持ちの持って行き場が見つからないんだ。

 

心の中、除雪不能なの。

重くてしんどいの。

ほんと、マジで。

 

だからせめて、沫雪の奴の本気を見たいんだよ。

そしたら、凍えそうな俺の恋心も、慰められる気がするんだよな。

 

 

 

 

和歌メモ (万葉集・山上憶良)

貧窮問答歌」として知られる、山上憶良長歌と短歌があるけれど、TwitterがXに変わったのを見たときに、真っ先に思い浮かんだのが、その短歌だった。

 

 

世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 

万葉集 巻五 893

 

*やさし……痩せてしまいそうなほど、つらい。消えてしまいたい。耐え難い。

 

【意訳】

 

理不尽な貧乏生活がつらすぎて、ガリガリに痩せちゃって、もう耐えられそうにないんだけど、どっかに飛び立つわけにはいかないんだよねえ。俺、鳥じゃないからさ。

 

 

(_ _).。o○

 

 

Twitterの鳥は、どこかに飛んでいってしまったけど、バツ印のSNSには、世の中のドス黒い澱がどんどん溜まっている。

 

いつか、それらが昇華される日はくるのだろうか。

 

「やさし」という形容詞は、山上憶良の時代には「やせるほどつらく、苦しい」だった。その後、

 

「気恥ずかしい」→「慎み深い」→「しとやかだ。優美だ」→「けなげだ」

 

と、意味が移り変わって、現代では「親切だ」になっている。

 

SNSで吐かれる毒も、社会の底に溜まって危険な形で噴出する前に、うまく変質してくれないものだろうか。もちろん、無害な鳥になって、どこかに飛び立ってくれてもいいのだけど。🕊️

 

 

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和歌メモ(雨の歌)藤原定家

今回は、藤原定家の雨の歌。

 

五月雨の心を

 

藤原定家

 

玉ほこの道行人のことづても絶えて程ふるさみだれの空

 

(たまほこの みちゆきびとの ことづても たえてほどふる さみだれのそら)

 

 

新古今和歌集 232

 

*玉ほこの……「道」にかかる枕詞。古代では、玉の飾りのついた鉾(ほこ)を、道路標識として立ててあったのかもしれない。

 

*みちゆきびと……旅人。通行人。

 

*ほど……時間。

 

*ふる……年月がたつ。老いる。古びる。(雨が)降る。

 

*ことづて……伝言。

 

上の定家の歌は、柿本人麻呂の作だろうと言われる歌を踏まえているらしい。

 

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉ほこの路行人の言も告げなく

 

(こいしなば こいもしねとや たまほこの みちゆきびとの こともつげなく)

 

万葉集 2370

 

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道ゆき人にことづてもなき

 

(こいしなば こいもしねとや たまほこの みちゆきひとに ことづてもなき)

 

拾遺和歌集 937

 

 最後のところが少し違っているけど、「恋ひ死なば恋ひも死ね」という強烈な表現は変わらない。

 

  万葉集の「言も告げなく」は、「辻占」のことを言っているのだという。

 

 夕方に、道の辻に出て、聞こえてくる通行人の言葉から占うもので、古代にはよく行われていたらしい。

 

 恋焦がれて半狂乱の状態で道端に立ち、見知らぬ人々の言葉の片鱗から、恋しい相手につながる何かを見つけ出そうとしている、ちょっと危ない人物の姿が思い浮かぶ。

 

 拾遺和歌集の「道ゆき人にことづてもなき」は、占いのような超常現象に頼るのではなく、普通に伝言を待っているようにも思えるけれども、苦しい気持ちに変わりはなさそうだ。

 

 それと比較すると、藤原定家の歌は、だいぶ冷静になっている印象がある。

 

【怪しい意訳】

 

 五月雨の空を見上げながら、ふと思う。

 

 あの人との繋がりが途絶えから、どれほど経っただろう。

 

 手紙のやりとりはもちろん、人づてに様子を聞く機会すら、なくなって久しい。

 

 私の家の前の道は、あの人の住む家にも繋がっている。

 

 昔の人のように辻占をしてみたら、あの人の思いを少しは知ることができるのかもしれないけれど…

 

 あの頃のような狂おしい恋の思いは、私の心からは、もう消えてしまった。

 

 

和歌メモ(雨の歌)

今回は、万葉集の長田王(ながたのおおきみ)の歌。

 

うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば

 

(うらさぶる こころさまねし ひさかたの あめのしぐれの ながらうみれば)

 

万葉集 巻1-82)

 

 

*うらさぶる……うら寂しい気持ちになる。動詞「うらさぶ」の連体形。

 

*さまねし……度重なる。数がとても多い。

 

*久かたの……「天(あめ)」にかかる枕詞。

 

*ながらふ……流れ続ける。静かに降り続ける。

 

長田王は、奈良時代の皇族で、この歌は、712年の夏に、伊勢斎宮に派遣された時に、山辺御井(やまのへみい)というところで作った歌だという。

 

でも、「しぐれ(時雨)」は晩秋から初冬に降る雨のことをいうので、夏に詠んだ歌というのは、不自然。万葉集編者も、疑問を持ったようで、山辺御井で詠んだとは思えないと、注をつけている。

 

晩秋まで伊勢に滞在したのか。

それとも、夏なのに、気分は時雨だったのか。

 

 

ねこたま意訳】

 

寂しい…

 

遠い空から落ちてくる冷たい雨が、私の心を閉じ込める。

 

一人きりで、雨の檻の中にいるようだ。

 

天空は限りなく広いのに、逃げ場のない孤独に、押しつぶされてしまいそうで。

 

ただ、寂しい…

 

 

和歌メモ……藤の花(大伴家持)

 

大伴家持の藤の花の歌。

 

大伴宿禰家持、時じきの藤の花と萩の黄葉(もみぢ)の二物(ふたくさ)を攀(よ)じて、坂上大嬢に贈れる歌二首

 

わが屋戸(やど)の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が咲容(ゑまひ)を

 

(わがやどの ときじきふじの めずらしく いまもみてしか いもがえまいを

 

大伴家持

 

万葉集 1627  天平11年

 

ねこたま意訳】

 

しばらく会えなかったけど、元気だった?

 

うちの庭に、季節はずれの藤の花が咲いたんだ。

萩の花なんかすっかり散って、葉も黄色くなってるのに、いまごろ藤が咲くなんて、不思議だよね。

 

春に咲く藤の花と、秋の終わりの萩のもみじ。

 

違う季節のものでも、奇跡が起きて、巡り合うこともあるんだね。

 

すれ違ってずっと会えなかった僕たちが、また巡り合ったみたいに。

 

藤の花の紫色は、君の色だと思ってる。

誰よりも素敵で、特別だから。

 

萩の葉っぱは、僕かな。

ほんの少し、浅緋色の混じった、黄色。

 

就職して、世の中のいろんなことを見ているうちに、僕もだんだん嫌な大人になってきた気がする。見たくないものを見ないふりしたり、力のないことを理由にして、流されるままでいたり。

 

どうしようもなく気持ちが塞いだときには、君のことばかり考えてる。

 

会いたいな。

楽しそうに笑っている、きれいで特別な、僕だけの君に。

 

そういえば、昇進したら、制服の色が変わるんだ。浅緋(あさあけ)色。送った萩の葉っぱの赤っぽい色みたいなやつ。きれいだけど、藤の花がそばにないと、物足りない。

 

ずっと、一緒にいたい。

結婚まで、もうしばらくかかってしまいそうだけど、どうか、信じて待っていて。

 

 

……

 

この歌を詠んだとき、大伴家持は二十歳くらいで、内舎人(うどねり・天皇の身辺警護)となっていて、翌年には聖武天皇の伊勢行幸に付き従っている。

 

当時、天然痘の大流行で重臣たちが大量死したり、大地震や火災が起きたり、反乱が起きたりと、世の中がすさまじく荒れていたために、聖武天皇平城京に戻ることなく、無理な遷都を繰り返した。不安に取り憑かれていたのかもしれない。

 

聖武天皇に従っていた家持は、奈良に残した坂上大嬢になかなか会うこともできず、思いを募らせていたのではないかと思う。