湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

2.26事件の復習

 

末っ子と一緒に、NHKオンデマンドで、NHKスペシャル「全貌 二・二六事件完全版 最高機密文書で迫る」を全部見た。

 

 

ニ・ニ六事件は、陸軍の青年将校たちが、人びとを搾取する特権階級を排除して天皇中心の政治に立ちかえるという目的で決起し、1500人近い下士官や兵を率いて、何人もの要人を襲撃して殺害したクーデター未遂事件。

 

当初は、陸軍の上層部にもクーデターの趣旨に共感し、支持する人も少なくなかったという。

 

ところが、天皇が激怒して自ら近衛を率いて鎮圧することも辞さないと言っていることが伝わると、様子見をしていた勢力は明確に鎮圧に動き、計画段階から支持していたはずの陸軍上層部も、青年将校たちを反乱軍として切り捨ててる選択をする。

 

結果、首謀者の将校の一部は自殺し、残りは逮捕され、下士官や兵たちは原隊に復帰し、クーデターは終了した。

 

エグい話になるのだろうと覚悟して見始めたのだけど、番組では要人暗殺の残虐シーンはさらりと流されていて、どちらかというと観察者的な立場だった海軍視点で、陸軍上層部や昭和天皇がどう判断して動いたかという話が多かった。

 

海軍は、事件が勃発してから鎮圧されるまでの詳細な情報を分刻みに記録していただけでなく、事件発生の1週間前には、事件の首謀者やターゲットのリストを入手していたのだという。

 

つまり、起きることが分かっていたクーデターを、誰も止めなかったということになる。

 

海軍は、事件の全貌を記録した機密文書を戦後になっても公開しなかったという。

 

首相や大臣の暗殺計画を詳細に把握した上で黙認していたという、まともな国家なら考えられないような背信行為をやったわけだから、とても公開できなかったのだろう。

 

しかも、狙われた当時の首相の岡田啓介は、元海軍大将だったのだから、身内を裏切ったようなものだ。

 

とはいうものの、時代ははっきりと軍国主義に向かって流れていて、海軍も一枚岩ではなく、中にはクーデターを起こした陸軍青年将校たちに共感する人もいないわけではなかったようで、事前に鎮圧に動くことは難しかったのかもしれない。Nスペのナレーションでは、組織の保身に走ったというような指摘をされていたけど、そういう事だったのだろうと思う。

 

昭和天皇は、陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校のクーデターに激怒して、断固として鎮圧を命じたとされているけれど、海軍の機密文書によれば、事件当初は心が揺れていたようで、海軍の軍令部総長だった伏見宮博恭王を呼んで、海軍が陸軍の味方に付くことがないかどうかを問い、味方をしないという言質を取ったという。

 

Nスペでは、当時の昭和天皇が、ゴルフや麻雀を好むという軟弱な印象のためか、軍部にあまり支持されていなかったことから、他の皇族に天皇をすげ替えられる恐れを持っていたのではないかと指摘していた。

 

番組では語られなかったけど、決起した青年将校たちは、陸軍士官学校を出ていないためにエリートコースから外れた存在だったそうで、農村や漁村の貧困を直に知る機会も多かったことから、憂国の念を抱き、北一輝国家社会主義に傾倒して、彼の著作を聖典としていたことが、事件の背景にあったという。

 

始まりというかきっかけが、社会主義的で反資本主義的なのに、それとは直接関係のなさそうな国粋主義に結びついて激烈な排外主義に流れていくというのが、当時の国家社会主義というものなのだろうとは思う。ナチズムもだいたいそんな感じだろうし。

 

でも、北一輝自身は天皇機関説に従って、天皇の神格化を否定していたんだそうで、それがどうして皇道派と結びついてクーデターまで起こすことになるのか、さっぱりわからない。

 

そこのところを疑問に思った青年将校は、いなかったんだろうか。

 

昨日やっていた、山川日本史一問一答アプリの続き。

‎「山川一問一答日本史」をApp Storeで

 

無味乾燥な一問一答も、ドキュメンタリーを見たあとだと、映像イメージに助けられて記憶がはかどる。

 

【第十二問】

 

二・二六事件で官邸を襲撃された首相は誰か?

 

答…岡田啓介

 

末っ子が、日本史の授業で岡田首相襲撃の詳細を教えられたらしい。襲撃者たちは、官邸の日本間にいた秘書官の松尾伝蔵を首相と思い込んで機関銃で滅多撃ちにしたあと、拳銃でとどめをさしたという。写真で見ると、なんとなく雰囲気の似た二人なので、滅多撃ちにされたあとでは判別が難しかったのかもしれない。

 

当の岡田首相は女中部屋の押し入れに隠れていて、兵士たちが松尾を自分と誤認しているのを確認の上、翌日、弔問客に紛れて、反乱軍に占拠されていた官邸から脱出したそうだ。

 

Wikipediaには、岡田首相が松尾伝蔵について語る談話が掲載されていた。

 

福井で「おれは岡田大将に似ているだろう。このごろはひげの刈り方まで似せているんだ」と言っていたそうだが、いつも一緒に暮らしているわたしから見れば、似ているもなにもあったものではない。まるで別人だ。しいて言えば、二人とも年寄りであるということが似ているくらいのものだった。

 

JR福井駅前には、岡田啓介と松尾伝蔵の銅像が並んで立っているそうで、Googleマップで見学に飛んでみた。やっぱりちょっと雰囲気が似ていると思った。

 

【第十三問】

 

二・二六事件で殺害された大蔵大臣はだれか。

 

答…高橋是清

 

高橋是清という人について何も知らなかったので、Wikipediaの記事を読んでみたら、凄まじい人生を送った人だった。

 

実母は見習い奉公中に主人に手をつけられて、望まぬ妊娠してしまったのだという。

 

そんな事情だったため、是清は生後すぐに仙台藩足軽の家に養子に出されてしまう。

 

その後横浜のヘボン塾で学んで、藩命によって海外留学することになったのだけど、学費や渡航費用をアメリカ人の貿易商に奪われた上、ホームステイ先である貿易商の両親に騙されて、奴隷として売られてしまったのだというから、とんでもない話だ。

 

ところが本人は自分が奴隷になったことに気づかず、きつい勉強だと思いながら働き続けて、時にはサボるなどしつつ、英会話を習得していったのだとか。

 

その後、何をどうしたのかは不明だけど、一年後に帰国して文部省に入省し、大学予備門などで教壇に立つなどしていたけれども、明治22年にペルーに渡って銀鉱事業を行なって失敗。帰国してホームレスになる。

 

奴隷のから国家公務員になって、のちホームレス。

 

なかなか稀有な人生だ。

 

それから日本銀行に入行して、日露戦争のころには副総裁になり、イギリスに渡って戦費を調達。その後日銀総裁となり、大蔵大臣にもなり、原敬が暗殺されたあとには内閣総理大臣になってしまう。

 

犬養毅内閣でも大蔵大臣を務め、犬養が五・一五事件で暗殺されると、またしても総理大臣を臨時兼任。

 

波瀾万丈すぎて目が回る経歴だ。😵‍💫

転んでもただでは起きないというか、転ぶ前より遥かに出世するのだから、すごいとしか言いようがない。

 

というか、日本の総理大臣、殺されすぎだ。(´・ω・`)

 

だけど、ニ・ニ六事件では、岡田首相は殺されず、高橋是清が殺されてしまった。ケインズ政策実施によるインフレを懸念して、軍隊の予算を削ったせいで、軍部の恨みを買っていたという。

 

大蔵大臣を殺して、誰か幸せになったんだろうか。

 

【第十四問】

 

ニ・ニ六事件で殺された内大臣はだれか。

 

答…斎藤実

 

海軍大臣だった斎藤実は、犬養毅五・一五事件で暗殺されたあとに内閣総理大臣となり、蔵相の高橋是清と一緒に経済政策を推進し、満州国の承認、国際連盟からの脱退を表明した人だという。

リベラルで穏健な国際派だったためか、陸軍の青年将校たちに、昭和天皇を誑かす重臣とみなされ、敵視されていたんだとか。

 

 

【第十五問】

 

ニ・ニ六事件のあとに組閣した内閣名をあげよ。

 

答…広田弘毅内閣

 

広田弘毅という人は、外交官として平和を模索し続けていたのにもかかわらず、東京裁判で、首相時代に積極的な軍国主義者ではなかったものの、陸軍の歯止めにならなかったという理由で、A級戦犯として巣鴨で処刑されたという。

 

【第十六問】

 

広田弘毅内閣は、軍の要求をいれて軍部大臣に関する制度を復活したが、この制度をなんというか。

 

答…軍部大臣現役武官制

 

シビリアン・コントロール文民統制)の実質的な排除となったこの制度の復活が、東京裁判での有罪の大きな決め手になったらしい。

 

でもこれって、お断りしたら暗殺される話だったんじゃなかろうか…。

 

悲劇の文官という側面のある広田弘毅は、城山三郎の小説「落日燃ゆ」の主人公として描かれたことで、同情を集めたという。

 

 

【第十七問】

 

広田弘毅内閣は陸海軍による帝国国防方針の改定を受け、対ソ戦略(北進論)に加え、南進論を併記したが、これを何というか。

 

答…国策の基準

 

これも東京裁判で引っかかったのだろう。

 

(_ _).。o○

 

 

今夜は末っ子のリクエストで、飛鳥時代あたりのコンテンツを見る予定。

 

 

2.26事件の予習 - 湯飲みの横に防水機能のない日記

 

2.26事件の予習

 

末っ子の受験勉強につきあうという名目で「山川一問一答日本史」というアプリを一つ買った。

 

‎「山川一問一答日本史」をApp Storeで

 

かつて私も使ったことのある山川出版の日本史の教科書を元にした、一問一答の問題集アプリで、約4500問が収録されているとのこと。

 

今夜は末っ子と一緒に2.26事件関連の動画を見る予定なので、その予習をしようと思って、そのあたりの問題を解いてみているのだけど…

 

全く当たらない。(´・ω・`)

 

 

高校時代、日本史は完全に捨てていたとはいえ、大人としての一般常識にここまで欠けているのも情けないので、挽回のためにせっせと覚えることにした。

 

【第一問】

 

陸軍が1934年(昭和9年)に、国防軍事優先の国家建設のため、統制経済の実現などを主張するパンフレットを発行したが、これをなんというか。

 

答…「国家の本義と其強化の提唱」

 

全く知りません。(´・ω・`)

 

Wikipediaによると、「国家の本義と其強化の提唱」は「陸軍パンフレット」と称され、60万部も刊行されたという。

 

内容的に、陸軍主導による社会主義国家の創設、計画経済採用の提唱であり、はっきり言うと、軍事ファシズム体制を堂々と主張するトンデモなものであったため、大変な騒ぎになったんだとか。

 

この時代って、社会主義を厳しく取り締まっていたはずなのに、軍国主義を全面に出せば、オーケーだったんだろうか。なんだかな。

 

当然大反対をする人たちもいたわけで、美濃部達吉などは批判する論文を書いたりもしたけど、そのせいで陸軍の恨みを買い、美濃部が提唱する「天皇機関説」は天皇に対して不敬であるとして排除されことになったという。

 

ちなみに昭和天皇は、その騒ぎが起きても美濃部の「天皇機関説」を支持していて、その旨を表明もしていたそうだから、天皇に対して本当に不敬だったのはどっちだろうという話になるのだけど、イデオロギーにのめり込んでいる陸軍の人たちにとっては、どうでもよかったのかもしれない。

 

というわけで、

 

【第二問】

 

1935年に貴族院菊池武夫議員が、元東京帝国大学教授の憲法学者を反国体的であると非難し、政治問題となったが、これをなんというか。

 

答…天皇機関説

 

【第三問】

 

天皇機関説問題で、その学説が批判された憲法学者は誰か。

 

答…美濃部達吉

 

美濃部達吉は、この騒ぎのあと、「天皇機関説」に憤った暴漢に襲われて負傷。犯行現場の捜査によって、美濃部の受けた銃弾が、暴漢のものではないことが判明し、警視庁の巡査が撃ったのではないかと言う疑いが起きたけれども、警視庁が「拳銃が見つからない」としたために、結局犯人は分からないまま終わったのだとか。

 

ろくでもない国だったことが、よくわかる。

 

【第四問】

 

天皇機関説問題の政治問題について、政府はこの憲法学説を否定する声明を出したが、この声明を何というか。

 

答…国体明徴声明

 

そもそも「天皇機関説」は、天皇を法人たる国家の統治権を握る最高機関とするもので、大正時代には、天皇も支持する国家公認の学説だったという。

 

ところが、「万世一系天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い…」云々というような「国体」意識を是とする軍部や右翼団体にとっては、天皇をシステムの一部とみなす学説は、どうにも面白くなかったらしい。

 

それだけでなく、天皇すら超えて政治の主導権を握ろうとしていた軍部や右翼団体にとっては、「天皇機関説」の構造自体が、邪魔だというのもあったのかもしれない。

 

そんなわけで、軍部と右翼団体に迫られた内閣は、「国体明徴声明」を2度も出させられてしまった。

 

【第五問】

 

国体明徴声明を2度に渡って出した内閣名は?

 

答…岡田啓介内閣

 

岡田啓介海軍大臣だった人で、天皇機関説を支持すると見られたため、陸軍の皇道派などから厳しく批判されたという。

 

首相就任当時の岡田啓介ははなぜかとても貧乏で、奥さんにも死なれていて、炊事が出来ず、首相官邸では弁当生活を送ったのだとか。国家では軍部の強硬派を抑えることが出来ず、大変な苦労をしたという。

 

なんにせよ岡田内閣による2度目の「国体明徴声明」で、美濃部の「天皇機関説」は完全に排除されることが決まり、同時に帝国憲法下の立憲主義も否定されることとなった。

 

この問題が教科書で詳細に取り上げられるのは、これが日本のファシズム台頭を明確に示す事件だったからだろう。

 

同じころ、日本では、ヒトラー人気が高まり、ユダヤ人の著作を焚書すると行為もあったそうだ。

 

【第六問】

 

東京帝国大学憲法を講じ、絶対主義的解釈で君主論を強調し、美濃部達吉と論争を展開した学者はだれか。

 

答…上杉慎吉

 

上杉慎吉という学者は、「天皇即国家」「神とすべきは唯一天皇」「現人神」という立場から、美濃部の「天皇機関説」や吉野作造の「民本主義」を批判し、甘粕事件では甘粕正彦を擁護するなどしたという。

 

上杉の言説は、右翼学生運動の源流となり、のちには治安維持法の定める罰則事項「国体否定」の基準の一つにもなってあったんだとか。

 

【第七問】

 

上杉慎吉が唱えた君主権絶対の学説をなんというか。

 

答…天皇主権説

 

 

まともに歴史を学んで考えたなら、「天皇即国家」だの「現人神」だのという発想が出てくるはずもない。

 

上杉慎吉は、ドイツに留学してゲオルグ・イェリネックに師事したという。イェリネックは絶対主義的君主主義に反対して人権の確立に努めた公法学者だそうで、その説は「天皇機関説」にも影響を与えたらしい。そういう人に学んだのに、上杉慎吉はなんで「現人神」なんてことを言い出したのか、ものすごく謎だ。あんまり頭のよくない人だったんだろうか。

 

ちなみに上杉慎吉の息子二人は、それぞれ統計学と労働運動史を専門とする学者で、二人揃って日本共産党員だとWikipediaにわざわざ書いてあったんだけど、父親を反面教師としてそうなったのかまでは、残念ながら書かれていなかった。

 

 

まだ途中だけど、長くなっちゃったので一旦終わる。

 

ちかれた。(´・ω・`)

 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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コロナの療養期間は終わったものの、まだ咳が続いていて、身体もだるい。

 

長女さんや末っ子も同じような感じで、げんなりしている。若いからといって回復が早いわけでもないようだ。

 

自分の体感としては、スッキリするまで、あと半月ほどはかかりそうな気がしている。このまま後遺症に突入したら嫌なので、無理せず過ごそうと思う。

 

息子(24歳・重度自閉症)は、今日から介護施設の通所を再開。着いてすぐ、抗原検査をしてもらって、陰性だったと連絡が来た。よかった。

 

 

(_ _).。o○

 

末っ子は、そろそろセンター試験の出願の時期が来るそうで、だいぶ緊張しているようだ。コロナで1週間以上も登校できず、受けるはずだった模試も一つ逃したので、かなり焦りがあるようだ。

 

勉強を手伝うことは難しいけど、せめてなにか応援できないかと思って、NHKオンデマンドで日本史関連のコンテンツを探して、一緒に見ることにした。

 

末っ子は日本史を選択しているのだけど、近代史がとても苦手だという。私もそうだったから、気持ちは良く分かる。

 

今回のコロナ騒動が始まる前の晩に、伊藤野枝のドラマ「風よあらしよ」を二人で見たのだけど、末っ子にとっては非常に強烈な印象を残したようで、

 

「1923年・関東大震災・甘粕事件」

 

というのが、日本の近代史の基点として脳に刻み込まれたという。

 

ちょうどいいので、1923年を足がかりにして、その周辺の出来事の刷り込みを少し頑張ってみた。

 

 

 

末っ子は「伊藤野枝が死んだ3年後に昭和が始まって、伊藤野枝が死んで6年後に世界恐慌!」と覚えたようだ。

 

昨夜は、NHKアーカイブスに入っている「歴史探偵」で、「戦争とアイドル」というコンテンツを二人で見た。

 

 

日中戦争が始まったころから、日本のアイドルたちが、いかに戦意高揚の道具として政府に利用されてきたかについて、戦地に送られたブロマイドやアイドル雑誌などから解き明かしていくという、実に切ないドキュメンタリーだった。

 

人気子役だった中村メイコは、出撃直前の特攻隊の慰問に行って、二度と帰って来ない青年たちを見送ったのだという。特攻隊の青年たちは、自分がそこで命を捨てることで、中村メイコのような可愛らしい子どもたちの未来を守れるのだと思うことで、強いられた死を無理矢理にも納得して旅立っていったのだという。

 

そうした慰問の経験が、アイドルたちの心に深い傷を残さないはずもなく、戦後にそうした苦しい思いをエッセイに書き残した女優さんもいたそうだ。

 

このコンテンツのおかげで、末っ子の脳内に、

 

「1937年、伊藤野枝が死んでから14年後、日中戦争始まる」

 

というのが刷り込まれたようだ。

 

 

今夜は、2.26事件あたりを攻めてみようかと思う。

 

 

あと、ドラマ「風よあらしよ」の原作小説(村山由佳著)は、そのうち読んでみたい。

 

 

 

 

「鎌倉殿の13人」(35)苦い盃

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第35回「苦い杯」を見た。

 

頼家が亡くなるまで非常に影の薄かった(出てこなかった?)平賀朝雅が、悪役として一気に躍り出てきて暗躍する。

 

平賀朝雅源義光の子孫で(清和源氏義光流)、頼朝の猶子でもあったという。

 

その上、北条時政とりくの娘の夫でもあるわけで、考えようによっては、鎌倉殿にも執権にもなる可能性がある人物、ということになる。

 

ドラマでは描かれていなかったけど、平賀朝雅は、実朝が鎌倉殿になった直後、京都守護として都に派遣され、平氏残党の反乱を鎮圧するなどの功績を上げたために、御家人でありながら、後鳥羽上皇に重用されるようになっていたのだという(Wikipediaによる)。

 

そんな有能そうな人には見えなかったけど。(´・ω・`)

 

あ、でもこの時の朝雅は24歳だったそうだから、期待の新人という感じで光り輝いていたんだろうか。

 

でも24歳にも見えなかったような……なんなら畠山重忠(42歳)と同世代くらいに見えたような気もす……

 

深く考えないことにしよう。

俳優さんの演技はすごくいいと思うし。酷薄で裏表ありまくりな感じが。

 

なんにせよ、朝雅が源氏贔屓の後鳥羽上皇に重用されていたのなら、鎌倉を牛耳りつつある北条氏を上皇が良く思っていないことは当然知っていただろうし、朝雅自身も、婿として時政夫婦の意向に従って義弟の政範を北条氏の嫡男として盛り立て、北条の血を引く実朝に仕えるだけでは、気持ちがおさまらない部分もあったかもしれない。

 

ドラマの平賀朝雅は、政範を都であっさり毒殺し、畠山重忠の嫡男重保に濡れ衣を着せていた。

 

史実ではどうだったのか分からないけど、確かに都での政範の急死は不自然だし、動機が十分にある朝雅による毒殺というのは、ない話ではないように思えた。

 

最愛の息子を失ったりくは狂乱し、なんとしても畠山父子を滅ぼせと時政に迫り、なんだかんだで時政も乗ってしまう。

 

ドラマの時政は極端な愛妻家で恐妻家だから、妻に押し切られて戦を起こしても不思議じゃないけれども、現実にそんな武将がいたら、面白すぎて不自然だ。

 

かつてドラマの中の時政は武士にとって一番大事なのは領地だと言い切っていた。

 

畠山重忠だって、武蔵国の自分の所領を時政から守るために死を覚悟して戦う姿勢を見せているのだから、時政の本当の動機も、きっとそこにあるのだと思う。

 

領地問題が絡むと、姻戚関係も身内の情も消し飛んでしまうという現実を、盃とともに畠山重忠に突きつけられた義時は、さぞ苦い酒を味わったことだろう。

 

(_ _).。o○

 

御家人たちのきな臭い状況について、若き鎌倉殿はほとんど知らされていなかったのだろうか。

 

内向的な性格らしい実朝は、都から迎えた高貴な妻に親しみを持てないらしく、裏表のない和田義盛を慕って会いに行き、水炊きっぽい肉の鍋をご馳走になって、くつろいでいた。

 

その義盛に誘われて、怪しい巫女(あとから大竹しのぶだと知って驚愕した。全然わからなかった)に引き合わされ、雪の日に出歩いてはいけないと言われる。

 

実朝が暗殺されるのは冬なので、もしかしたら雪の日だったのかもしれない。

 

政子に書き写してもらった歌集を読み込むうちに、実朝は和歌への傾倒も深めていく。

 

実朝が特に心を惹かれたのは、父頼朝の歌だった。

 

前右大将頼朝 

 

道すがら富士の煙もわかざりきはるゝまもなき空のけしきに

 

この歌は、「新古今和歌集」の巻十「羈旅」に載っている。

 

政子が実朝にこの歌の解釈を聞かせるときに、あの富士の巻狩りの場面が回想されていた。

 

曽我兄弟の仇討ち騒ぎで危うく殺されそうになったばかりか、騒ぎに便乗した弟の範頼の謀反(濡れ衣)騒動などもあり、心がかき曇る一方で、晴れるゆとりもなかった頃だ。

 

そんな憂鬱な心情を詠んだ父の歌に、実朝は、自らの思いを重ねたのかもしれない。

 

 

 

(_ _).。o○

 

毎度楽しみにしている歴メシネタだけど…

 

今回は、都での豪華宴会料理に毒が盛られて死者が出るという、食べ物好きには許し難い展開だった。( *`ω´)凸

 

平賀朝雅は、焼き物の小さな壺に入った毒を、汁物に混入したらしい。毒を手配した人物によると、味がないので悟られることはないという。

 

毒を盛られた北条政範は、食事の最中に倒れて亡くなっていたから、かなり即効性のある毒だったのだろう。

 

何の毒だったんだろう。

 

すぐに思いつくのは、トリカブトだ。

 

トリカブトは、ニリンソウと間違えておひたしにして食べてしまうことが多いそうだけど、味について書かれている記事は見つからなかった。味が分かるほど食べたら死ぬということかもしれない。

 

朝雅に毒を渡した人物は、どうやって味がないことを知ったのだろう。いろいろ想像すると、ちょっと背筋が寒くなる。:(;゙゚'ω゚'):

 

厚生労働省のホームページで、「自然毒のリスクプロファイル」として、トリカブトが紹介されている。

 

中毒症状

口唇や舌のしびれに始まり,次第に手足のしびれ,嘔吐,腹痛,下痢,不整脈,血圧低下などをおこし,けいれん,呼吸不全(呼吸中枢麻痺)に至って死亡することもある。 致死量はアコニチン2~6mg

 

発病時期

食後 10 ~ 20 以内に発症することが多い 。

自然毒のリスクプロファイル:高等植物:トリカブト

 

「食後10〜20」の単位が書かれていないけど、たぶん「分」だろう。「秒」では短すぎるし、「時間」だとすでに食後とは言えない。

 

まだお膳の上の料理がたくさん残っているうちに、ほとんど声も出さずに崩れ落ちるように倒れていた政範の症状にも、ある程度合致するように思う。

 

ただ、朝雅は毒を「汁に溶かせばいいのか」と言っていた。ということは、トリカブトだったとしても、植物そのままの形ではなく、それを液状、もしくは乾燥するなどして粉末状に加工したものだったのかもしれない。

 

猛毒のトリカブトだけど、切り花として普通に売られているそうで、Amazonで種子も販売していた。恐ろしいので商品リンクは貼らずにおく。

 



 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

地獄のオミクロン療養週間が終了して、家族全員、平常の生活に戻ることができた。

 

後遺症の有無は、まだ判別がつかないけれど、2年前に感染したときよりは、予後がいいような気がする。

 

今朝は、長女さんを病院のデイケアに送り届けて、息子の代理受診をしてきた。

 

息子(24歳・重度自閉症)の主治医に、いい感じでバッハを演奏する、若いアイスランドのピアニストを教えていただいたので、いまそれをApple musicで聴いている。

 

アレンジが面白い。

バッハ・ワークス&リワークス

バッハ・ワークス&リワークス

Amazon
バッハ・カレイドスコープ

バッハ・カレイドスコープ

Amazon

 

バッハ好きの息子に少し聴かせてみたら、静かに耳を傾けていた。好きなのかもしれない。