朝日新聞のネット記事で、伊藤野枝が取り上げられているのを途中まで読んだ。
弾圧に屈せず女性のために 伊藤野枝に光「今こそ必要」:朝日新聞デジタル
婦人解放に取り組み、関東大震災の混乱のさなかに28歳で憲兵に虐殺された女性活動家、伊藤野枝(のえ)に、光があてられている。弾圧や批判に屈せず女性のために論陣を張ったが、奔放な生き様に偏って見られることもあった。森喜朗氏の女性蔑視発言が議論を呼ぶなか、今こそ野枝のような存在が必要という声が上がっている。
ネットで全文読むには有料会員にならなくちゃいけない。あとで紙の新聞で探してみよう。
それはともかく、記事の伊藤野枝氏の写真が目に入って思ったのは、
「え? 豊田真由子氏? なんで?」
だった。
ぱっと見た感じ、意志の強そうな目や口元など、豊田真由子氏とよく似ていると思うのだけど……
もともと人の顔を認知する力の弱い私のことだから、あまり賛同は得られないかもしれない。(´・ω・`)
新型コロナの流行拡大後、感染症方面の行政に詳しい豊田真由子氏がテレビ出演する機会が増えているという。
婦人公論のインタビュー記事があったので、読んでみたら面白かった。
〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」|話題|婦人公論.jp
暴言スキャンダルのときには驚き呆れたけれども、猛烈なバッシングから立ち直って地道に仕事をされているのは、素直に凄いと感じる。あれほど世間で叩かれたなら、並の精神力ではもたないと思う。
衆議院議員の頃、息子の学校の文化祭に足を運んで、障害児教育や福祉に力を入れていくからと、バザーの売り子をしていた私にまで丁寧に握手して行かれた。あの腰が低く熱意に満ちた姿と、湯水の如くふんだんに報道されるトンデモな人物像とを整合させて、一個の人格を想定するのは、かなり難しい気がした。
いまは福祉関係の事業団で働いておられるとのこと。よいお仕事をされることを願う。
(_ _).。o○
伊藤野枝という人については、亡くなり方があまりにも凄惨であるのと、恋愛スキャンダルの印象が強すぎて、心情的に近寄りがたくて、著作を読んだこともなかった。
でも上の新聞記事が目に入り、写真がたまたま豊田真由子氏に似て見えたことなどもあって、伊藤野枝という人がどんな心情を持って生きていた人なのか、少し知りたいと感じた。惨殺に至る事情も、恋愛スキャンダルも、伊藤野枝本人の言葉で語られたものではないからだ。
で、少し読んでみた。
「成長が生んだ私の恋愛破綻」(伊藤野枝 著)
インターネットと青空文庫の偉大さは、どれほど褒め称えても足りないと思う。
これらが存在しなかったなら、病気療養中で外出のままならない書籍代絶賛節約中の私のような人間が、あっさり伊藤野枝の著作を手に取ることなど、まず不可能だろうから。
kindleで無料ダウンロードできるのも嬉しい。
短い文章なのですぐに読み終えた。
真っ直ぐな破壊力とナイーブさを合わせ持った女性だと思った。魅力も感じた。
男性運は……悪すぎた。
親の決めた縁談を蹴飛ばして結ばれた相手は、結婚した途端、知的な粗大ゴミと化した。
子どもが二人生まれても、貧乏で食べるものに困っても、夫は家庭に目を向けず、かといって野心もなく、鬱屈して暮らすばかり。
教養だけはある夫の影響で、精神的に成長を遂げた野枝は、皮肉にもその成長の結果、夫を見限る決心をする。
ところが離婚がきちんと成立する前に、野枝は大杉栄と出会ってしまう。
野枝としては付き合いを断るつもりが、逆に大杉に絆されてしまい、直情的に大杉の推奨する自由恋愛の泥沼に飛び込むことになる。
「成長が生んだ私の恋愛破綻」には、彼女が泥沼に飛び込んだために大杉栄が愛人に刺された事件については書かれていない。青空文庫版には発表年代がないのでわからないけど、もしかすると刃傷沙汰以前の文章なのかもしれない。
どんな一身上の過失も、自分の意志次第で立派な試練になります。
過失はただ、恥じたり悲しんだりするのみすべきではありません。
私共はむしろそんな無用な事は止めにして、その過失に対してもっと立派な研究的態度をとる事が必要です。
そしてその時に私共はそこから無限の力強い教訓を受ける事が出来るでしょう。
「成長が生んだ私の恋愛破綻」
最初の結婚を教訓とした彼女は、その後の短い人生を、どんな思いで生きたのだろう。
それを伝えるような作品がないかと思ってGoogle検索で探してみたら、内田魯庵が大杉栄と伊藤野枝について書いた文章を元にした漫画があるらしいというのがわかった。
その漫画を見つける前に、オリジナルが青空文庫にあるのを見つけたので、さっそく読んだ。
「最後の大杉」(内田魯庵 著)
ストレートなタイトルだ。
内田魯庵と最晩年の大杉栄は家が近所で、家族ぐるみの行き来があったという。
内田魯庵としては、大杉栄のアナーキズム思想には共感せず、自由恋愛の刃傷沙汰にも反感を持っていたようだけれども、話題の豊富な大杉との雑談を楽しむこともあり、父親となってから性格が丸くなった様子には、好意を寄せてもいたようだ。
大杉栄との間に五人の子を生んだ伊藤野枝は、内田魯庵の目には、幸せそうな「世間並みのお母さん」に見えていたようだ。
「イイお父さんになったネ、」と覚えずいうと、野枝さんと顔を見合わしてアハハハと笑った。
「大杉の最後」
アナーキストの大杉には常に尾行がついていたけれど、大杉本人は身の危険を感じる様子もなく、乳母車を押してしょっちゅう散歩に出るなど、無頓着に暮らしていたらしい。
けれども、1923年9月に関東大震災が起きてから、状況が急変する。
地震のために社会不安が巻き起こり、社会主義者に対する憎悪の感情が巷に吹き荒れる中で、甘粕事件が起き、大杉栄と伊藤野枝は、激しい拷問の末に惨殺される。たまたま二人と一緒にいた大杉の幼い甥も、巻き添えで殺害される。
事件の日の朝、大杉栄と伊藤野枝が洋装で出かけていく姿を、内田魯庵の家人が見たという。二人の娘の魔子が魯庵の家に遊びに来ていて、「家のパパとママよ」と言ったというエピソードが、生々しくて辛い。
その悲劇の描写のあとに、フランスに洋行して収監された大杉栄の帰国費用を用意するために、伊藤野枝が駆けずり回って借金しまくったというエピソードが紹介されていて、なんだか脱力した。
……
伊藤野枝、やはり男運が悪すぎると思う。
見る目がなかったというよりも、先進的な思想を持つ男と恋愛で繋がる以外に、学んで人生を切り開く方法がない時代だったせいもあるのだろう。
でも、死に方はともかく、選んだ人生にはそんなに悔いはなかったかもしれない。
彼女がもしも現代に生まれていたなら、アナーキストにはならず、猛勉強して東大に入り、官僚になって弱い立場の人たちのために働こうとしたり、政治を変えるしかないと思い決めて国会議員になったりする人生を歩んだかもしれない。
一身上の過失を、力技で試練と教訓に変えながら。