湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

25年と30年と、飛んでいく記憶

こんにちは。

 

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25年

 

今朝、車で走っていたら、役所の近くに消防隊員が大勢集まって、物々しくテントを張るなどしているのを見かけた。

 

大事故でもあったような設営風景なのに、隊員さんたちに緊迫感がないので、不思議に思っていたら、カーラジオが、今日が阪神淡路大震災から25年目だと言ったので、ああそれでかと納得した。

 

きっと、全国各地で、災害訓練のイベントが行われているのだろう。

 

四半世紀も前のことだけど、あの朝の記憶はまだそんなに薄れていない。

 

当時利用していたパソコン通信のフォーラムで(インターネットが何者なのか知らない頃だった)、とんでもない地震が関西を襲ったと書いている人がいたので、あわててテレビをつけてみたら、倒れた高速道路と、燃え上がる神戸の街が目に飛び込んだ。

 

見たものが信じられないまま亭主を叫び起こして、一緒に報道を眺め、映像に目を凝らした。

 

亭主の実家は兵庫県なのだけれど、あのような大災害では電話などすぐにつながるはずもなく、無事が知れたのは、夜になってからだったように記憶している。

 

地震の5年ほど前に、私たち夫婦は神戸で結婚式を挙げている。見覚えのある通りや建物の変わり果てた姿に、言葉もなかった。

 

 

30年

 

 

書いていて気づいたけど、そういえば、もうすぐ結婚30年目になるのだった。

 

何婚式になるんだろう。

 

調べた。

真珠婚式だった。

へー。

 

さらに調べた。

養殖の真珠は出来上がるまでに4年ほどかかるというから、30年よりはだいぶ短い。

 

でも仕込んだ貝の半数は死んでしまうそうで、生きながらえても、不良の真珠や、真珠とは言えない何かになるものもあるため、良質な真珠は3割にも満たないのだとか。

 

真珠も結婚生活も、サバイバルなところは似ているということか。

 

約40年前に亭主と知り合い、約30年前に結婚。

 

阪神淡路大震災の翌年に長女さんが生まれ(1996)、その翌年には長男が生まれた(1997)。年子育児の大戦争時代の始まりである。

 

で、その翌年(1998)、長女さんが難病にかかって長期入院を繰り返すようになり、亭主と私で交代で病院に泊まり込む生活となった。

 

その年、長女さんの難病について調べるために、インターネットを使い始めた。当時は今と比べると情報はとても少なかったけれど、それだけに、まともな情報を探しやすくもあったと思う。

 

そのときたまたま見つけたお医者さんのホームページに、将棋棋士村山聖が、長女さんと同じ病気であったことが書かれていた。村山九段が亡くなったのは、長女さんが発症した翌月のことだったということも、後になって知った。病気の情報を知るために、私の読書量とインターネット利用頻度は激増した。

 

そして、さらにその翌年(1999)、2歳になった息子が、「全く言葉を話さない」という現実を、受け止めざるを得なくなった。「男の子は、だいたい言葉が遅いから」という、世間一般のごまかしが無効になる程度には、息子の様子は、言語以外の面においても「普通」ではなかった。

 

翌年(2000)、重度の知的障害があることが判明。長女さんの通院と、長男の療育、検査、その他諸々のことで、ひたすら走り回る日々が始まった。走り回らないときは、やたらと本を読み、ネットで調べものをしていた。生まれて初めて出会った自閉症児が自分の息子だったわけで、手持ちの情報があまりにも少なすぎた。

 

その翌年(2001)、マンションを買って転居し、長女さんが幼稚園の年中組に、息子が障害児通園施設に、それぞれ入園した。

 

引っ越し準備のあたりから、体の震えや動悸がおさまらず、体重も激減。きっといろんなことのストレスがたまったせいだと思っていたけど、引っ越しの最中に、とうとう立っていることもできなくなって、病院に駆け込んだところ、バセドウ病だと言われた。

 

この年の9月(2001)、あの同時多発テロが起きた。

人が大勢ビルから飛び降りていく映像を見ているうちに、どんどん体調が落ちていき、それでも子どもたちの通院や療育に走り回っていたけれど、翌月には風邪でダウン。自分で運転して、かかりつけの内科に行ったものの、待合室で倒れて動けなくなり、そのまま入院となった。バセドウ病の治療薬「メルカゾール」の副作用で、無顆粒球症になっていたのだ。血液中の白血球が激減というか、ほぼ消失していたそうで、死亡確定の状態だったと、後から知った。病院に駆けつけた亭主は、ナースセンターで看護師にお悔やみを言われたという。

 

入院後、意識が戻った時には、頭の上に樽のような点滴の容器がいくつもぶら下がっていた。全身に間断なく激痛が走り、息苦しく、倒壊したビルの下敷きになっているような感じだった。ベッド脇で、医師と看護師が円陣を組んで、

 

「精一杯頑張りましょう、えい、えい、おー」

 

と、お通夜のような声でやったかと思うと、医師が私に向かって、

 

「息ができなくなるようなら、首を切開して管をいれますからねー」

 

と言ったけど、勘弁してほしいと言いたくても声も出ない。そこから先の記憶は途切れ途切れで、激痛、気絶、悪夢、覚醒の繰り返しのなかで、あー、死ぬのかな、やばいなと思ったけれども、「お迎え」のくる気配がなかったので、なんとかいけるかもと思ったりしたのを覚えている。

 

ほとんど死亡確定だった私が生還できたのは、白血球を強引に増やす注射を、毎日ガンガン打ってもらったかららしい。薬剤名はわからないが、一本一万円くらいだったと、後から聞いた。結婚直前に、職場に押しかけ……いや訪問勧誘しにきた保険屋さんの、ものすごく押しの強い勧誘に敗北して加入した積み立て型の生命保険が、初めて役に立ったっけ。そういえばあの保険、30年で満期だったような。今年か。老眼鏡でも買おうかな。

 

そういうわけで、バセドウ病は投薬治療できなくなったので、入院中に新宿の某大学病院の外来に行き、そこで放射能入りカプセルを飲んで、甲状腺の細胞を潰すというやり方で、症状を抑えることになった。

 

年末には退院できたものの、飲んだ放射能が子どもたちに影響を与えないように、自宅内で隔離状態で過ごすことになった。死にかけ状態だった体力が戻って、なんとか普通に生活できるようになったのは、翌年の春(2002)だった。

 

こういう家庭生活だから、亭主の家事育児スキルは否応なしに爆上がりすることになる。私が動けないときは、なにもかもやってくれていた。いまもそうだ。今夜は鍋料理とのこと。ありがとう。

 

2003年には長女さんが小学校入学、長男はいろいろあって(職員との間で残念な揉め事があって)障害児施設を中退。療育教室に通いながら自宅でも療育をする生活をしていたけれど、集団生活を少しでも経験させたいということで、近所の家庭保育園に相談して、1日3時間ほど通園することに。翌2004年には、長男が小学校入学。2005年には、末っ子爆誕……

 

ここまでが、結婚生活30年の前半戦15年分なのだけど、前半に比べると、後半の15年は目に見えないような勢いで飛び去った感じで、ほんとに15年も経ったのかと疑わしくなるほどだ。

 

これを書いていて気づいたのだけど、若い頃の古い記憶のほうが、直近の出来事よりも、思い出しやすいようである。

 

もしかすると、直近15年が短く感じられるのは、現在に近い出来事ほど、記憶が抜け落ちているからなのだろうか。

 

脳の老化のせいで起きていることなのだとしたら、ちょっと困る。予防したい。

 

DHAの摂取を増やそう。

それと、日記の更新量も増やそうか。記憶維持のためにも。

 

 

老化と蝋化

音楽

 

昨日だったか、運転中、カーラジオでFMを流していたら、変な曲がかかった。

かっこよさげな歌なのに、歌詞が・・・

 

坐骨神経びんびん!
こむらがえりがばんばん!

万歩計もって出かけたいぜ!

 

聞き取って記憶できた箇所だけでも、こんな具合で、いちいちツボなので、つい聞き入ってしまった。

 

曲名は聞き逃したけど、キナシノリタケの歌だという。

キナシノリタケ・・・誰だっけ?


キナシ・・・木梨・・・お笑いの人だっけか。
(テレビ見ないのでよく知らない)


検索して、曲判明。


木梨憲武 - 「GG STAND UP!! feat. 松本孝弘」Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=PTLHmPRqgog


木梨憲武 - 「GG STAND UP!! feat. 松本孝弘」Music Video

 

 

ジーだって歌ってるけど、木梨憲武のウィキの記事で生年月日見てみたら、私と同じ年の生まれだった。

 

いまの還暦手前の層って、こんな感じに年取ってるのかなと、なにか不思議な感じがした。元気だ。そして、悪くない。


なんとなく、雰囲気がクレイジーケンバンドと重なるけれど、クレイジーケンバンドタイガー&ドラゴンがヒットしたのって、もう二十年くらいも前のことのような気がする。そして、ボーカルの横山剣も、たしか同世代だったはず。

 

 


タイガー&ドラゴン/横山剣クレイジーケンバンド

 

 

 

クレージーケンバンドって、作家の野坂昭如と一緒にライブやってたような記憶もある。探してみたら、YouTubeに動画があって、記憶が正しかったことが証明された。

 


マリリン・モンロー・ノー・リターン/CKB・野坂昭如

 

 

野坂昭如の曲って、あまり知らないと思っていたけど、戸川純が歌っている「バージンブルース」が、もともとは野坂の曲だと今知った。




戸川純平沢進  バージンブルース (夜のヒットパレード)


戸川純、平沢進  バージンブルース (夜のヒットパレード)

 


いま聞いても、すごい歌だ。
テレビの歌番組で、これを放映したというのが、なんというか、途方もない。

 

そういえば戸川純も同世代(ちょい上くらい?)だった。

最近はどうなのかなと思ってネットを眺めていたら、戸川純のCDが、近年いくつか出ている。

 

 

ヤプーズの不審な行動 令和元年

ヤプーズの不審な行動 令和元年

 

 

 

Jun Togawa avec Kei Ookubo

Jun Togawa avec Kei Ookubo

 

 

YouTubeにあがっていた動画で、少し聞いてみた。

そのうち全部ちゃんと聞こう。蝋化の先を。

 

 

蛹化の女(2016 Remaster)

蛹化の女(2016 Remaster)

  • 戸川 純
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 


そういえば、平沢進の曲も、最近聞いていなかった。


NHKおかあさんといっしょ」で、平沢進の「地球ネコ」が流れてきたときには、その破壊力に驚いたものだ。



平沢進-地球ネコ


平沢進-地球ネコ

 


「地球ネコ」は2003年10月の歌だったと、ウィキに書いてあった。

 

うちの長女さんが七歳、長男が六歳のころだ。あのころ、うちには、おかあさんといっしょの歌のビデオテープがたくさんあった。

 

当時まだ生まれていなかった末っ子が、もう中学卒業するのだから、時の流れは容赦ない。

 

 

スロークッカー

 

しばらく前から、材料を入れてほっとくだけで煮ものができる調理器の導入を考えていたけど、昨日たまたま立ち寄った電気屋さんで、3.5リットルの容量があるスロークッカーを、初売り価格2000円くらいで売ってたので、半日迷った結果、購入。

 

 ELSONIC エルソニック
【オンライン限定価格】 スロークッカー 3.5L ECX-SCK35

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いま、四時間がかりで、クリームシチューを煮ている。

 

ガスコンロと違って、火の始末に神経を使わなくていいので、ボケを自覚しつつある身としては、本気で助かる。

 

レシピをいろいろ模索しなくては。

 

 

 

 

「残念な屁を残して」という用例

おはようございます。

 

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絵のお題は、「残念な屁を残して」。

 

昨日、家族の会話で出現したフレーズで、発言者は末っ子。家族に自室で屁をこかれることに淡々と抗議する発話のなかで使われていた。

 

どことなく、ポエムの香り(?)があって忘れがたいということで、書き留めておくことにした。

 

「イタチの最後っ屁」なんていう慣用表現があるけど、あれもある意味、「残念な屁を残す」行為と言えるのではないか。「残念」と感じる主体が、「イタチ」なのか、「屁をかまされた相手」なのかはわからないけど。

 

 

「残念」という漢語も、よくよく見ると変な言葉だ。

 

「念を残す」「残る念」、どっちかわからないけど、オカルト系の文脈で使われる「残存思念」みたいに、その場にいない誰かの思考や感情が残っているかのような、あるいは意図的にそこに残すことができるかのようにも思えてくる。

 

「私は、敢えてこの自分の邪悪な心情を、見ず知らずの人間によって引き起こされた凄惨きわまりない食い逃げの現場に残念すべく、心の中で、世の中の美食に対する悪意の限りを想起した」

 

なんていう用例を作りたくなる。

「残念」に漢語サ変の用法なんて、ないと思うけど。たぶん。

 

 

いやわからない。明治期とかに、もしかしたらあるかも。あとで確認しとこう。

 

 

蛇足

 

 

昨日、日記を書けなかった。

あとで書き足そう。

 

 

 

 

 

 

 

お出かけ日和

こんばんは。

出かけてました。

 

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決死の覚悟で電車に乗って、渋谷あたりまで出て歩き回った結果、一万歩超えました。

 

処方してもらったお腹の薬が効いたのかどうかはわかりませんが、痛みその他の危機的状況に襲われることもなく、普通に外食を楽しみ、カフェでお茶して帰宅。娘たちと一緒だったのも、良かったのかも。

 

できれば毎週、行き先を決めて、外に出るようにしようと思います。できるといいな。

 

 

文房具カフェ

 

今日の目的地は、「文房具カフェ」という、ちょっと変わったカフェでした。

 

文房具カフェ

 

食べ物や飲み物を注文すると、店内の文房具を自由に使ってお絵描きができるのですが、いまはちょうど「文豪ストレイドッグ」というアニメ作品とのコラボ企画中で、そちらのファンが多かったようで、お絵描きする人はあまり来ていませんでした。というか、見た感じ、描いていたのはうちのテーブルだけでした。

 

「文豪ストレイドッグ」、私はアニメは未見ですが、原作漫画はkindle版で途中まで読んでいます。

 

なんで途中までかというと、途中で、「うん、これ、別にキャラが文豪じゃなくてもいいバトル漫画だよね」と思ったりしたからですが、それはそれとして、続きがどうなったのかは気になっているので、そのうち最後まで読もうと思っています。

 

 

文豪ストレイドッグス(1) (角川コミックス・エース)

文豪ストレイドッグス(1) (角川コミックス・エース)

 

 

作中のキャラで好きなのは、太宰治

私としては、リアル太宰より、好感度高いです。

 

なので、文房具カフェでも、太宰治にちなんだドリンクを頼んだのですが、運んできたウェイトレスさんに、爽やかなお声で、

 

太宰治様の人間失格アイスカフェオレです」

 

と言われたときには、一瞬、軽く後悔しました。

 

あ、でも美味しいカフェオレでした。

 

 

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ちなみに長女さんは、「芥川龍之介羅生門ドリンク」、末っ子は「文房具カフェカラーリングジュース ポートマフィアバージョン」なるものを頼んでいました。

 

飲み終わってからは、高価だと思われる画材使い放題で、小一時間黙々とお絵描きして遊びました。

 

こんなのとか。

 

 

あと、たぶん、こんなのとか。

 

 

こんなのとか。

 

コピック スケッチ ベーシック36色セット 12502074
 

 

また遊びに行きたいです。

 

 

 

アメリカンゴッドタレントと自閉症

こんにちは。

 

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iPhoneの写真フォルダーを見てたら、5年くらい前に、長女さんと末っ子が木片にラクガキしてたのがでてきた。

 

これ、すごく面白いからたくさん作ろうよって話してたのに、それっきりになっちゃってる。もう、家のどこにあるかもわからない。

 

積み木の好きな息子なら、興味持つかな。

探してみよう。そのうち。

 

 

アメリカン ゴッド タレントと自閉症

 

昨日はひさびさにパソコンで書き物をした。

私のパソコンは居間にある。

 

騒がしい場所で読み書きするのは全く平気だけど、家族の会話が至近距離で聴こえてくると、パソコンで文章を書くことができなくなる。

 

家族限定で、会話の内容が、文章を作ろうとする脳の回路に割り込んでくる仕様なのだ。優先順位の問題でそうなっているのだと思う。

 

不思議なことに、iPhoneでの読み書きだとそういう問題が起きないので、家族が居間にいるときには、もっぱらiPhoneでブログを更新することにしている。

 

でも昨日はWordで書いて印刷する必要があったので、家族の会話が収束するまでは、調べ物でもしながらYouTubeでも流そうと思って、ブラウザを開いた。

 

そしたら、たまたまアメリカンゴッドタレントの動画が表示されたので、なにげなく聞いていたら、出場者の紹介が始まった。

 

英語のヒアリング能力は下の下である私だけど、絶対に聞き逃せない単語が耳に飛び込んできた。

 

「彼は盲目で、自閉症です」

 

慌てて画面をみた。

 

ステージの上には、ずんぐりとした体つきの青年が、長い杖をついて、母親らしい女性に支えられて、首を振りながら立っている。

 

コディ・リー。

盲目で、自閉症

 

うちの息子と同じ、22歳だという。

 

会話はできるけれど、絞りだすように、言葉をくちにしている。発声や、言葉の想起などのコントロールは、かなり大変そうに見える。

 

自閉症の症状だけでも、日常生活への制約と困難は、相当に重そうに見えた。うちの息子と同様、社会のなかにいるだけでも、生きにくく、辛いことが、山のようにあるはずだ。本人も家族も、尽きることのない困難と格闘しながらの暮らしだろうと想像できた。

 

姿勢を正して、彼の演奏が始まるのを待ち、聞いた。

 

YouTube

 

あまりにも豊かで、切ない情感に、泣くしかなかった。

 

 

自閉症の人が得 特異な才能を発揮する事例が紹介されると、賞賛とともに、批判の声も立ち上ることがある。

 

すべての発達障害者に、優れた才能が与えられるわけではないのだから、障害と才能を安易に結びつけるべきではないし、手放しでもてはやして世に晒すべきでもないという、苦々しい意見もある。

 

私も障害者の親だから、そうした意見が出てくる事情や理由は、よく理解している。

 

けれども、重い障害の壁を突破し、すべての人の心を一つにできるような、豊かな芸術的才能の持ち主が出現することは、この世の中の誰にとっても、しあわせなことであると思うのだ。

 

障害や才能の有無にかかわらず、どんな人の心の中にも、とてつもなく豊かな世界が内在し得ることを、思い出させてくれるのだから。

 

彼を守って才能を育てたお母さんや、支援者の人たちに、私も感謝したい。

 

 

コディ・リーの準決勝と決勝のステージの動画もあったので、貼っておく。

 

YouTube

 

 

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