湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

疼痛とか冷蔵庫マザーとか

 

朝起きるときの体の痛みが悪化している。

家事などして三〇分もすると痛みは治まってくるけれど、初動がとにかくキツいので、なんとかならないかと思っている。

で、慢性的な疼痛などに効果があると言われている、マインドフルネス的なアプローチに、いまさらながら興味を持ち始めている。


本などでいろいろ調べつつ、まずはとにかく、心静かに座る(ねそべる)時間を持つことにする。

 

 

( _ _ ).。o○

 

 

下の記事をめぐって、奇妙な炎上が起きているのを昨日読んだ。

 

小島慶子ADHDを公表したことで仲間との交流や気づきが生まれた」〈AERA

headlines.yahoo.co.jp


まともな社会的ステイタスや高い能力をもった人が発達障害をカミングアウトすることに対する違和感、というか、強い反感を抱く人が、世の中にはいるらしい。


たいした困難もないのに障害者になりたがる人が多いとか、痛みや困難などだれだって抱えているのに、社会的に成功した人間が自分の「発達障害」を人に知らせる意味が分からないとか、そんな感じの反感だったようだ。


そうした反感は、これまでにもネット上で何度か見かけたことがあるし、実生活ではかなり面倒な形で遭遇している。


重度の知的障害のある長男のときは、「男の子は言葉が遅いものだから」という「慰め」の言葉をかけられたものだけど、二歳を過ぎても三歳になっても全くしゃべらない、視線も合わない、奇声とこだわり行動炸裂で身辺自立も全くできない状態がはっきりしたところで、さすがに誰も「普通です」とは言わなくなった。


娘たちの発達の問題が「見えて」きたころ、真っ先にそれを否定してくれたのは、保育や学校教育の現場にいる「先生」たちだった。そして、発達障害療育の専門家であるはずの臨床発達心理士が、それに続いた。


「この程度では問題ないと思いますよ。とても"いい子"ですし」
「もっと大変な子が、クラスにいくらでもいますから」
「定型発達ですよ」
「生育歴や家庭の問題では?」

 

たしかに普通学級の教室には、授業に全く集中できずに離席したり暴れたり、文字の読み書きが困難な子どもたちがいた。その子たちにくらべて、うちの子どもたちは、「手のかからない」という意味では、問題のない児童であったことだろう。知能に問題はなく、身辺自立の面でも、まずまず「普通」レベルだったのだから。


だけど、本人たちも家族も、ほんとうに、困り果て、疲れ果てて暮らしていたのだ。

何も問題がなかったら、いじめや学習困難があるわけでもないのに、学校に行けなくなるはずがない、と世間は考える。だから問題は家庭、とくに母親にあるのだろうと推定される。


そんなわけで、子どもたちの発達問題で、私は悪者扱いされることがたびたびあった。
周囲のそういう無理解よりも苦しかったのは、私自身が、私に問題がある可能性を否定できなかったことだ。

 

 スキンシップで与える愛情の足りなさ
 母親としての情緒の欠如
 子どもへの無理解
 そうした欠乏の結果としての母子分離不安


憶測からくるそういう指摘を外部の人間にされて、アリバイをもって反証できる母親などいないだろう。


育児の現場をつぶさに見ている他人など、いないのだから。

 

まして私には、自分が変な人間だという強い自覚がある。
なにしろ、自閉傾向ADHDの傾向をあわせもつ、ギフテッドで高学歴な、しかも心身ともにポンコツの母親である。

 

そういう変な人間が子どもを育てたって不都合が起きないということを、証明するすべは私にはなかった。

 

自分が原因なら、自分が変るしかない。
だけど、一体どういう「母親」になれば、問題が解決するのか、いくら考えても調べても、さっぱり分からなかったし、いろいろと私の非を指摘する方のアドバイスも、状況の改善には役に立たなかった。そもそも簡単に変われるような自分であれば、自分の人生だってもっとラクだったことだろう。苦しみ続ける子どもを前にして、役に立たない自分は、自分の中でも「悪者」でしかなかった。


そのあたりの苦悩葛藤が、私自身の前回のうつ病パニック発作発症の原因の一つだったのは、間違いない。
ほんとうに、苦しかった。


かつて、自閉症の原因が「冷たい母親」だとされていた時代があったという。
そのために「冷蔵庫マザー refrigerator mother」などという言葉まで作られた。

 

ja.wikipedia.org


いまは、そういう形で母親を自閉症の犯人などとする医療関係者は、たぶんいない。

 

けれども、まだ診断名がはっきりしない、診断基準も治療や支援の方法も明確にされていないようなタイプの困難については、「冷蔵庫マザー」の時代とたいしてかわらない状況がある。


無理解は、人を殺す。
他人だけでなく、自分に対する自分の無理解もだ。

 

上の記事の炎上光景をみていて、そのことを改めて思った。

 

著名人による発達障害のカミングアウトは、多くの人に「問題がそこにあるかもしれない」と知らしめるための、極めて有効な方法だろう。ぜひ、どんどんカミングアウトしていただきたい。