Twitterか何かを眺めていたら、どなたかのリツイートだと思うのだが、2016年の記事が表示された。
「障害児産んだら人生終わったから」匿名ブログに反響の声多数!
https://news.nicovideo.jp/watch/nw2080587
気になったので、元の匿名ブログを読みにいってみた。
そしたら、ブログには続きがあって、「人生終わった」のではなくて、まさに人生が始まった感じの展開となっていた。
追記から少し引用。
凄い数のブクマついてて驚いた。
いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。
医療ケアのある重度障害児育てていると、困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、
どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。
だからこういう形で吐き出した悩みに、多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。
今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップルや夫婦が
いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。
子どもが難病児、あるいは重度障害児と分かった時点で、親にかかってくる負担や制約が、どれほどのものであるか、分かった上で出産する人など、たぶんほとんどいないだろう。
うちは年子でそのダブルを経験した上で、三人目を出産している。おそらく、「分かった上で出産した」、数少ない事例だろう。
末っ子ができたと分かったとき、上の二人をとりあげてくださった主治医に、厳しい顔て確認された。
「あなたの年齢だと、ダウン症が生まれる確率はだいぶ高くなります(数十人に一人という割合を示された)。どうします?」
即答した。
「産みます。もうたいがいのことでは驚きませんし、どんな子が生まれても、育てられますから」
「ん! よく言った! がんばろう!」
深い笑みをうかべて頷いてくれた主治医の顔は、たぶん一生忘れない。
ただ、これは決して美談ではない。
私が即答できたのは、夫が全面的に家事育児を手つだってくれる人であり、経済的にもまだ余裕があったからである。そうでなければ、上の二人だけで、とっくにパンクしていただろう。
それに、上の二人を育てた経験がなければ、やはり、迷っただろうとも思う。
息子の通っていた特別支援学級で、ダウン症や、それ以外の障害のある子ども達と、たくさん出会ってきている。
また長女が長期入院していた小児病院では、肢体不自由の子どもたちと同室になることもあった。
だから、その育児の大変さも、他に代えがたい喜びも、身近に見聞きして知っていたのだ。
さいきんまた、政治家のどなたかが、「最低三人産んでほしい」云々と発言してしまって炎上していたようだ。
そういう発言を、いちいち叩くつもりはない。
ただ、世の中で、頭数やお金のことばかり意識されて、子どもたちが皆命がけで生まれてくることや、親も人生かけて子どもを育てるのであるということが、実感としてわかりにくくなっているのだとしたら、怖いことだと思う。
・・・・・
子だくさん関連で、作曲家のバッハの二番目の妻の手記のことを思い出した。
バッハの思い出 (講談社学術文庫)
M・アンナ・バッハ
バッハは生涯に2度結婚し、十一男九女の20人の子供をもうけたが、10人は夭逝し、成長したのは男子六人と女子四人の10人に過ぎなかった。(ウィキの記事より)
もう十数年も前に読んだ本だから、細かなことは忘れたけれど、この手記のなかには、現代なら自閉症と診断されそうな息子についての思い出も書かれていたはずだ。
その子のその後の人生は、どんなだっただろう。
ちなみにうちの息子はバッハの「マタイ受難曲」を聞くと、パニックが収まる。