人は本来、動いていたい動物ではないかと考えています。いろいろなものを見て聞いて思考し、進化しようとするのです。
東田直樹 「跳びはねる思考」 角川文庫
東田さんの言葉には、世の中の過剰な情報やよくわからない圧力に晒されつづけて疲弊して、いつのまにか滞ってしまっている思考を、そっと動かしてくれるような作用があると私は思う。
ふるまいの様子だけを見ていると、うちの息子とかわらないほど重度に見える東田さんの、発語の姿は、何度見ても心が震える。
文字盤と、横に座っておられるお母様を支えとして、しぼりだすように語られる言葉は、私にとっては奇跡そのものである。
脳内にある種の障害を持っている人にとって、ことばは、話したり書いたりしようとする瞬間に、消え去って分からなくなってしまうものであるという。
息子も、単語、とくに「もののなまえ」としての名詞を覚えることが、ほんとうに難しかった。「りんご」が大好物なのに、何年もかけて、当時考えられる限りの方法を使って、何千回と教えても、「りんご」という単語を "覚えて、口に出す" ことができなかった。「りんご」というひらがなを読むことはできるのに、「りんご」の絵や実物を見て、「りんご」と言うことが、どうしてもできないのだ。
そんな状態が、小学校に入ってからも続いた。
けれども、ことばの意味が全く「わからない」わけではないのは、息子の日常の様子を見ていれば、明かだった。
希望の見えなかった発語、とくに単語習得の問題にブレイクスルーが訪れたのは、息子が9歳、小学四年の時だった。
表側にりんごの絵があり、裏側に「りんご」と書いてあるようなタイプの絵カードを用意する。
息子に、まず表側のりんごの絵を見せてから、裏がえして、「りんご」という文字列を見せ、それを写し書きさせる。そして、また表側のりんごの絵を見せる。
それを何度も何度もくり返すと、息子は、りんごの絵を見ただけで、「りんご」と書くことができるようになった。つまり、ものの名前を "覚えて、書く" ことができたのだ。
ただ、その進歩は、ほんとうに、ゆっくり、ゆっくりだった。
この方式で単語の習得ができると分かってから二年後の、息子が11歳半のころの学習の記録手元に残っているので、一部転載してみる。
2009年7月19日の療育手記
今日のお題は、「ねぎ」と「もやし」。
どちらも好物なのに、いまひとつ名称が定着しない。
それぞれの野菜の写真をプリントアウトし、裏側に平仮名で名称を書き付ける。
まず、写真を見せて、名前を答えられなかったら、裏の平仮名を見せて読ませ、紙片に書き取らせる。それをくり返す。
以前は、これを一単語につき八十回から数百回繰り返さないと、覚えなかった。
いまは、多くとも二十回ほどで記憶できるようになっている。
それでも、健常な子どもたちとは違って、一度記憶した単語の音が、時間がたつにつれて、「ずれていく」という現象がある。
何度も練習して「ねぎ」「もやし」と覚えても、しばらくたつと、「ねぎ」が「だき」に、「もやし」が「はやし」や「はやい」に変質してしまうのだ。
しかも都合の悪いことに、変質してしまった音のほうが、なぜか記憶の定着率が高いのである。
だから、音が崩れていく前に、何度も何度も練習しなおす必要がある。もぐらたたきゲームのようである。
このもぐらたたきを克服すると、その後は音のズレは生じなくなる。
たぶん記憶のシステムのどこかに、こういう問題を引き起こす異常があるのだろう。
それでも克服可能なのだから、厭わず練習すれば、未来は明るい。
……
2009年7月20日の療育手記
「もやし」の音が、ずれている。
最初のうちは、
もやし → はやし、はやい、うどん
程度だったのに、昨日の夜、寝る直前になると、
もやし → はやい、こんぺいとう、てんとうむし
なんてことになってしまっていた。
一体、どういう連想関係になっているのか、さっぱり分からない。
今朝になって、なんとか「はやし」に戻っていたが、その後もぐらぐら揺れ動いている。今後の変遷から目が離せない。
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長男と一緒に、こんなレッスンを毎日続けていたころ、末っ子はまだ幼稚園の年少組、長女は持病で入院という状態だった。昼間は息子と末っ子を車に乗せて療育に通い、自宅でも言葉のレッスンをやり、夜は長女の病院に車をかっ飛ばしていた。
あのころの私は、ある種のスーパーマンだったかもしれない。
それはともかく、上のような練習の甲斐があって、息子は、日常的に目にふれる物の名前の多くを "覚える" ことはできた。とくに食品関係、自分の好物については、自発的に発語することが出来るようになっている。
ただ、そこまでだった。
さまざまな具体物、物の名前の上位概念、たとえば「動物」「おやつ」「飲み物」といった単語は、いまでも習得することが難しい。
また、形のないもの、状況、気持ち、といったものを表現する単語も、息子にとっては、つかみどころのないものであるようで、音声や文字列としての知識はあるのだろうけれど、まず口に出して使うことがない。
この壁を乗り越える方法を、私はまだ見つけていない
息子は、今年で二十三歳になる。
黙して語らぬ息子の表情を日々眺めていて、なにか計り知れない思考や、豊かな情緒の片鱗があるらしく思えるのは、決して気のせいではないと思える。
それは、東田直樹さんのような、明晰で論理的に言語化できるような思考ではないかもしれない。
けれども、なんらかの方法で、息子が思いを表出できる日がこないとも限らない。
それを、私は待っている。