湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

土曜の日記

今日の健康観察日記

 

はなはだだるい。

昨日の外出(末っ子の学校行事)で疲労困憊。

あまりにも疲れると脳がうまくコントロールできなくなって、ろくでもないことばかり考えるというのを確認した。


人に会うだけでくたびれ果ててしまう体質なのは、もうどうしようもない。
自分の居場所にきちんと戻って、休養しなくてはならない。

PC前に座って、音楽を聴いたり、ちらちらと活字を読んだりし、お友達とチャットしたりしながら、少しづつ自分を取り戻していく。

 

読書


オーウェルの「一九八四年」の続き。あとちょっとで半分というところ。

徹底した管理社会が薄気味悪くて、暗くてどうしようもない。それでも途中で投げる気にならない。

 

 

 

一九八四年

一九八四年

 

 

 

作者のジョージ・オーウェルがどんな人だったのか気になって、ウィキを読んでみた。

1950年に、46歳で亡くなっている。結核だったそうだ。

イギリス植民地時代のインドに生まれ、1歳のときに母親と一緒にイギリスに帰国。
父親はインドの高等文官であり、かつアヘンの栽培と販売を手がけていて、イギリスで妻子と暮らす時間は短かったらしい。

大人になったオーウェルは、ミャンマーで警官になったけれど、帝国主義の片棒を担ぐ仕事に嫌気がさして帰国。

 

その後、ロンドンの浮浪者にまじって暮らしながら最底辺の人々のルポ作品を書こうとしたり、田舎で養鶏業を営んだりしていたけれど、1936年にスペイン内戦の取材に行って「圧倒的な革命的な状況」に感銘し、ファシズム的なフランコ総統に対抗するマルクス主義統一労働者党の兵士として戦闘に参加したものの負傷。ソ連の援助を受けた共産党軍のスターリニストの欺瞞に対しては義憤にかられ、結局そのスターリニストによる弾圧に追われるようにしてフランスに帰還…と書いてある。


なんともややこしい人だけど、帝国主義的、全体主義的なものやレイシズムに対して強烈なアレルギーのある人であるということだけは、分かった気がする。

 

小説「一九八四年」が完成したのは1949年、オーウェルが亡くなる前年である。
真っ黒なディストピアの物語を綴るのは、どう考えても身体にいいとは思えない。執筆が命を削った部分もあるのではないかと想像する。


結核というと、三浦綾子の小説「氷点」を思い出す。
あの物語の開始時の時代設定は昭和二十一年、1946年である。作中で、ヒロイン陽子の継母である夏枝の愛人にして、諸々の不幸の元凶だった村井という人物が結核を発症して喀血し、死と隣り合わせと言われるほどの病状となったけれども、数年の療養生活で助かっている(そしてますます不幸な人間を増やすことになったのだけども)。作者の三浦綾子も、1946年に結核を発病しているので、小説のエピソードは実体験に取材したものだろうと想像する。


オーウェルは、三浦綾子よりも数年後の発症だったけれども、早い時期に有効な治療を受けられなかったのだろうか。

 

 

 

 

 


報道


あのカルト宗教の教祖だった人の死刑が執行され、他の死刑囚も今日のうちに執行されるらしい、というのをTwitterのニュースで見かけた。

テレビでは、死刑が各地で次々に執行されていくのを、次はどこかと騒ぎ知らせているとか。


きっと今日は同じ報道が何度も何度も繰り返されることだろう。
どんな理由であっても、人の死の話をエンドレスで聞かされるのはキツい。
今日はテレビを見ないことにした。


といっても、もともとテレビをほとんど見ないのだけども。(´・ω・`)


今読んでいる途中のジョージ・オーウェルの「一九八四年」の世界では、政治犯公開処刑が最大の娯楽となっていて、大人も子供もそれを見物に行くことを大いに喜んでいた。


世の中が、日記すら自由に書けない「一九八四年」の世界に近づいているとは思わないけども、慣れるべきでないことには、できる限り慣れないようにしておきたい。