今日の健康観察日記
半月も書いてなかった。
それはつまり、具合が悪くて寝込んでいて読書もゲームもできないような時間帯が全く無かった、ということでもある。
寝込むことはあっても、本を読んだりゲームをしたりできるので、寝たままブログを書くことをしない。
それは単純に元気になったことの証でもあるけれど、「しんどさ」がないわけではなく、そのことをちゃんと書いて記録しておかなかったことで、だいぶ気持ちが凹んでいる。
また書こう。
続くかどうかは分からないけど。
読書
ハードカバー、それも新品同様の全三巻が古書店に240円(つまり一冊80円)で並んでいたから、ついつい買ってしまったのだ。
紙の本は、比較的活字の大きいハードカバーであっても、目に厳しい。夜読むのはほとんど無理。
というわけで、昼間、明るい時間帯に少しづつ読んでいる。
一巻目の170頁目まで読んだ。
たのしい気持ちになる物語ではない。
感情移入のたやすい人物など一人も出てこない。
1984年頃の、グロテスクな仕組みの世の中で、おぞましい人間が、それをよしとしないらしい不気味な人々によって駆除されていくらしい。
ちょうど自分が学生だった時期が背景となっているはずなのだけど、私の知っている昭和の空気のようなものはこの物語のなかには存在していないようだ。かろうじて、小銭を使って公衆電話を使っているようなシーンに、昭和らしさを感じる程度。インターネットもスマホもない時代の「あたりまえ」が、その時代にいたはずの自分にさえ、すでに「あたりまえ」のものではないことを、いちいち確認している感じで読み進めている。
恐ろしい経済力や政治力を持っているらしき老婦人に依頼され、天賦の殺人能力を駆使して害虫のような男を殺害する青豆という女性。
文壇に強い反感を抱いているらしき編集者にそそのかされて、他人の作品を書き換えて芥川賞に応募しようとしている、天吾という作家志望の男性。
どちらも、まったく、好きになれない人物だ。
なぜだろう。
内面に少なからず豊かな感情を持ち、ゆるぎない個性を持ち、希有な才能や痛みや記憶を持ちながら、人生の存続を左右するようなものごとの決定権を他人にまるごと預けて、その枠の中だけで生きている、気持ちの悪い人たちだからだろうか。
読み終わるかな。
わからない。
結末は見たいと思う。