湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

健康観察と常務の秘密と橋本治…

今日の健康観察日記

かなりしんどかったけど、予定していた絵画教室には行くことができた。一ヶ月ぶり。
すっかり要領悪くなっていて、デッサンは惨憺たるものだったけど、楽しかった。

ただし帰宅したら、ふらふら。明日も出かけなくてはならないから、おとなしく休んだ。

 

 

今日のAmazon

 

オススメ経由で読み放題に引っかかり、オフィスラブ小説(?)を一冊読んでしまった。


黒乃梓「常務の秘密が知りたくて・・・」

 

常務の秘密が知りたくて… (マカロン文庫)

常務の秘密が知りたくて… (マカロン文庫)

 

 


きまじめで家族思いの白須絵里は、突然の人事異動で長丘常務の秘書に抜擢された。

 

彼女の勤め先は医療器具の開発と製造販売で業績を伸ばしている会社であり、長丘常務は社長の息子、つまり将来の社長である。こういうお話のお約束通りの超美形で仕事も出来るけれど、眼光鋭すぎるのと、他人に対して優しさや甘さを見せない性格のため、社員には畏怖される存在。またハデな女性とつきあってはあっさり別れるとか、女性秘書に手をつけては次々と入れ替えるとか、あまりよくない噂もある人物。

 

その常務が、秘書課で白須絵里と目が合った途端、様子がおかしくなる。

 

名前を聞き出して顔色を変え、すぐさま自分の専属秘書に据えて、やたらと厳しく教育したかと思えば、白須絵里のプライベートを詳しく聞き出して、住んでいる環境が劣悪だの危険だのとたしなめ、自分を二の次にして妹に仕送りしていると聞くと、そんなことではいかんと憤り、かといって執着があるのかといえばそんなこともなく、あっさり突き放すようなこともする。挙動不審すぎて、常務が白須絵里を好きなのか嫌っているのかさっぱりわからない。

 

どうやら常務は昔から白須絵里を知っているらしいのだけど、全く覚えがない白須絵里は振り回されてばかりいる。けれども心の奥底から湧いてくるよくわからない情熱に引きずられて、いつしか白須絵里も常務を思うようになっている。

 

やがて常務は実は某王国の騎士団長であり、白須絵里は王女の側近で、常務によって厳しい剣の指導を受けるかたわら人目を忍んで四方山話を交わすだけのプラトニックな仲であったという驚きの展開があり、その時に常務が、王女のかわりに政略結婚に利用される白須絵里を引き留めることもせずにあっさり送り出したあげく、他国から差し向けられた暗殺者に惨殺された彼女を看取るという最悪の別れを経験していることが明らかになる。常務は白須絵里を見つけた瞬間、かつて自分が双方生殺し状態で手放したあげく見殺しにした女性だと気づいて、挙動不審になっていたのだった。以上は異なる時空、もしくは前世での話であって、常務は幼少期から繰り返す悪夢としてその記憶を保持している。が、白須絵里にはそこまで詳細な夢が訪れないため、何も知らなかったのだ。


そのうちライバル企業のバカ御曹司が常務を狙い撃ちにした陰謀をしかけてきて、病院と提携しての医療器具開発が頓挫しそうになる。バカ御曹司は、陰謀をとりやめる代わりに白須絵里を好待遇で自分の会社に引き抜くとという、意味不明の取引を白須絵里に持ちかけてくる。白須絵里が取引の件を伏せたまま、転職することを常務に告げると、常務はまたしても引き留めず、自己犠牲の決意を固めて会社を去ろうとする白須絵里をあっさり送り出してしまう。

その後どういう経緯で何があったかは省略するが、常務と白須絵里は無事結ばれて物語は終る。


常務の秘密には軽く絶句したけれども、こういうジャンルにはこういう展開もアリなのだろう、たぶん。

 

 


読書


橋本治「いつまでも若いと思うなよ」読了。

 

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

 

 

 

きつかった。

だから常務の秘密に盛大に寄り道したけど、ちゃんと戻って読み終えた。


大借金と、それを返済するために抱え込んだ膨大な仕事量、さらに大借金の元凶となったマンションの理事まで引き受けてしまって(断るには十万円払う必要があった)、しかもそのマンションが訴訟問題や改装問題の渦中にあったため、仕事の合間に裁判所に行き、住民たちのろくでもない諍いに巻き込まれるなどして、どんどん体調を崩していく。


顕微鏡的多発血管炎。
喫煙によるスカスカの肺。
動脈硬化
カリニ肺炎。
心筋梗塞の疑いで検査したら冠動脈が詰まっていた。
軽度の慢性腎不全。
慢性貧血状態(赤血球が正常値の50-60パーセントしかない)


そして退院して一ヶ月で、あの東日本大震災

その後激しい痛みで整形外科を受診して、脊柱管狭窄症と診断される。
痛み止めを処方されたけれども、それは腎臓に悪いからダメと言われて、ひたすら痛みをこらえるうちに歩行困難に。


病名や症状を見ただけで途方もない気がして逃げたくなる。
これはきつい。もう途方もない。


いや、正確に言うと、人の病気は受け止めるのがきつい。(;.;)


たとえそれが見ず知らずの作家さんであっても、どんなにか痛くて苦しくて、大変だったろう……と、感情移入的に思い巡らしてしまうと、どうしようもない気持ちになる。難病、重病の人のそばにして、ほんの少しでも助けることなんてできないと知っているからだ。

 

でも自分がたぶんこんなことになったら、悲壮感に満ちあふれるようなことはなく、たぶん「あー、やっちまった」ぐらいで流してしまうような気がする。


三十代のときに、持病の薬の副作用で、雑菌を退治してくれる種類の白血球が激減してしまい(通常なら最低でも3000個あるところが18個だか19個ぐらいしかなくなってたと聞いた)、ほんとに死にかけたことがある。

これ。↓

 

 

www.msdmanuals.com

 

ちょっと筆舌に尽くしがたく苦しかったし、「あ、ヤバいのかも」と思ったときには、さすがにヒヤリとしたけど、そんなに動揺はなかった気がする。動揺する気力も体力もなかっただけかもしれないけど。

 


いまは全く別の病気のおかげで病院を四軒も掛け持ちしている。
養生していても回復はよくないし、毎日痛いし、精神的に苦しい日もあるけれど(これでも一応うつ病の治療中である)、なんとかしのいでいる。げっそりしてしても、悲壮感はない。持病と老いの狭間で自分に「出来る範囲」をみつけながら、やりくりして暮らしている。

 

「いつまでも若いと思うなよ」から少し引用。

 

 
十年ほど前、友人に母親の話を聞きました。もう九十になろうという友人の母親が、我が子に「驚くのは、この年になっても、まだ"老いとはこういうことか"という発見があるのよ」と言ったというのです。

 

それを聞いて私も驚きました。九十になろうというお母さんの中に「自分の老い」見つめる知力があるという、その若さにです。そして、老いというのは「年を取った」と言って完結するものではなくて、死という最終のエンドマークに向かって年をとり続けて行くものだということを知って、「そう言われてみればそうだ」と驚き、もう一つ、「老いというものは各人オリジナルだからこそ、自分の老いのあり方を発見し続けられるのか」と驚きました。老いながら「自分の老い」を発見しつづけるのですから、誰もが「自分の老い」の前ではアマチュアなのです。つまり、分かったようなことを言っても、自分の老いの形はそんなによく分からないということです。

 

私はただなんとなく、「病人と思うより老人と思ったほうが生きやすいな」と思っていただけなのですが、退院から二年がたち三年がたって、どうやらそれが正解だったらしいと気がつきました。「老人だと思ってれば、治ろうとしてイライラしないだろう」と思っていたのは正解だったというのは、完治のない病気でも「もう若くはないと思う年齢でも、やっぱりよくなって来たりはするのです。「もう年なんだからこのまんま年寄りだ」と思っていた私は、「年寄りにも年寄りなりの快復力がある」ということがイメージできなかったのです。

 

 

このあたりのお話は、心にストンと落ちてくる

自分のありさまに日々発見があるから、ここのブログを書き続けていられるというのもある。


(2017年9月25日に書き始めて、この記事で223件目。よく書いたもんだ…)