湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

愛と縄と健康観察日記

 

愛が大事と言われるけれど、愛だけではどうにもならないのが、育児と介護だ。

愛が全くないのは怖いが、決して万能薬ではない。

 

下の画像は、いつものごとくpixabayでお借りした写真。

縄でこしらえたハート。

「愛」で検索したら出てきた。

 

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両側の縄をひきしぼったら、ハートはつぶれて、守っていたはずの何かを締め上げ命を奪うものに変容してしまうかもしれない。 

 

 

新聞

 

 

朝日新聞の土曜日版「be on Saturday」(2018/02/17)に、重度心身障害児の母親の相談記事があった。


少し長くなるけど、引用してみる。

 

 


悩みのるつぼ

障害児を一人で育てるには

相談者 女性 40代

 

上野先生、愚かな40代母の悩みを聞いてください。我が子は最重度の心身障害のある幼児です。寝たきり・人口呼吸器ですが、時間をかけて、福祉の枠組みや信頼できる病院、療育施設をようやく確保し、家庭で過ごせるようになりました。夫の努力もあり、子どもは入院がちだった頃よりも表情が豊かで穏やかです。発語も笑顔もなく、全てに介護が必要な子ですが、いとおしくてなりません。

 

しかし、夫が私との関係に不満を抱くようになり、結婚生活を維持するのが難しくなってきました。私と一緒に暮らしたくないそうです。

 

相談は、生活保護などを受けて子どもの在宅生活を維持するか、施設に入れるかです。

 

施設は遠方で、私も働き始めれば、我が子には滅多に会えなくなります。きめ細かなケアや家庭生活は失われ、最悪、虐待も気がかりです。ただ、自分の本音が、「子を捨てた母親になりたくない」という見えや自分の身勝手な罪悪感なのではないかとも恐れています。

 

他方、頑張っても本当に一人で子どもを育てられるのか非常に不安ですし、心身の疲れや将来への不安も拭いがたいです。ケアが複雑なため頼れる身内や友人はいないのが現状です。

 

死んだ方が楽ではと思うほど苦しいです。どうしたら自分の気持ちを見極め、正しく決断できるでしょうか。

 

 

介護をする立場の人間は、「もしも自分が先に動けなくなったら(死んだら)」ということを 考えなくてはならないというのは、当然のことではあるけれど、いままさに介護の渦中にある身にとっては、この上なく難しいことでもある。

 

とくに「自分(1人)が頑張らなくてはどうしようもない」と、深く思い詰めてきた人にとっては、自分がその現場にいなくなることを仮定してみることすらキツいはずだ。「死んだ方が楽ではと思うほど苦しい」と語る相談者の気持ちは、察するにあまり或る。

 

これに対して回答者の上野千鶴子氏は、まず法律家が回答するような離婚後の生活の手引き風の説明をしたあと、次のように語っている。

 

 

私の答えはここからです。あなたでなければケアができない子どもさん。もしあなたが病気になったり、万が一先立ったりなさったら、いったいどうなるのでしょう?

 

重度障害時の親は死ぬまで子どもの世話から逃げられない。それどころか死んだ後の心配までしなければならない立場に立たされています。どんなに「複雑なケア」でも、障害者介助のプロや経験のあるヘルパーさんなら、委ねることもできるでしょう。「わたしでなければ」と背負いこむことを、「当事者研究」のパイオニアの一人、脳性麻痺者の熊谷晋一郎さんは「依存の供給の独占」と呼びました。


「わたしでなくてもお世話できる」機会を子どもさんから奪うことで、子どもさんの生存の機会を低めているのはあなた自身かもしれません。

 

親は子に先立つのが順番。その時、この子を置いて死ねない、いっそひと思いに道連れに、なんて思ったら、子どもの命を奪うことになります。子どもさんはどんなにかわいくても、あなたの独占的な所有物ではありません。どんな子どもにだって、生きる権利があります。あなたの強い愛情も責任感も感じますが、それならなんとか子どもさんがいずれはあなたなしでも生きていけるような手立てを考えてみてください。

 

そのための制度的な手段は、介護保険や障害者総合支援法などでそろってきました。日本の社会福祉制度は諸外国に比べてもそんなに見劣りするものではありません。ただ、使い方がわからないだけで。居間からでも自治体や障害者団体の相談窓口に行って何が使えるかトライしましょう。「施設入所」か「生活保護で在宅ケア」か、二つ以外の選択肢が見つかりますよ。

 

 


「相模原障害者施設殺傷事件」が起きる前だったら、苦い気持ちを抑えつつも、上野千鶴子氏に全面的に賛同していたかもしれない。

 

あの事件のせいで、「親亡き後」に対する気持ちの重さ、暗さが否応なしに増してしまった親は、少なくないはずだ。

 

そしてあの事件がなかったとしても、我が身よりも大事に思う存在を他人にゆだねる不安、恐ろしさ…いまだに母性神話が揺るぎなく存在するここの国では、子どもを「施設に入れる」ことに対する、有形無形の批判を、女親は一心に受け止めることになる。

 

相模原の事件のあと、被害者を親を批判する匿名の言葉のなかに、「自分の子を施設に入れて滅多に会いにも行かない親が」というようなものがいくつもあった。おおかたは、重度の障害児・者の生活など全く知りもしない人々の無責任な放言だろうと思うけれども、言葉は容赦なく障害時の親に突き刺さる。

 

上野千鶴子氏もそうした母親の痛みを理解しないわけではないのだろうけど、この回答は、相談者の女性にはキツい痛みをもたらしたのではないかと思う。

 

自分の人生を犠牲にして介護に専念していれば「利己的な囲い込み」と言われ、他者にゆだねれば「母親のくせに」と言われる、そんな立場の人の苦しい気持ちに、もう少し寄り添うこともできたのではなかろうか。 

 

もっとも、字数の限られた紙面だから仕方が無い面もあるのだろうか。

 

(もともと私は上野千鶴子氏があまり好きではないので、どうしても目線が厳しくなる。もうずいぶん前になるけど、自閉症の原因は母親の密着過干渉なんてことを公言しちゃったことがある人なのだ。その後撤回はされたようだけど)

 

全般的には必要なアドバイスではあると思った。いずせにせよ、愛情と自己犠牲だけで解決する問題ではないのだから。

 

「施設入所」
生活保護で在宅ケア」

 

以外の選択肢が見つかるかどうかは、住んでいる地域の福祉環境や就業のしやすさにもよるだろう。場合によっては、離婚に加えて、思い切った転居など、さらなる決断も必要になってくるかもしれない。

 

うちの息子は最重度クラスの知的障害者で、平日は地元の介護施設に通所(10時~15時)している。重度心身障害の利用者さんもいるため、看護師さんが常駐しているし、隣接地に病院もある。

 

昼食代など、一部自己負担金はあるけれど、いずれ息子が障害年金を受給できるようになれば、それでほとんどすべてまかなえるだろうと思う。ちなみに介護施設は、車であれば10分ほど、健康な足があれば徒歩でも十分に通える場所である。


私は専業主婦だけれど、同じような状況で仕事(パートが多いとは思う)を持っておられるお母さん方は多い。


つまり、通所可能な介護施設があり、お子さんの通所中に働けるような仕事があれば、上野千鶴子氏の言うような、「施設入所」「生活保護で在宅ケア」以外の選択肢の一つとなるだろう。


問題は、複雑なケアの可能な通所施設が、自宅の近くにあるかどうかということだ。
福祉の送迎サービスを使うとしても、通所にあまり長い時間がかかるようでは、不安だし危険だろう。通所時間に合わせて働けるような、融通の利く職場を見つけることも、地域によっては難しいかもしれない。


いろいろな条件をクリアするためには、相談者の方の大きな意識改革、価値観の入れ替えが必要になるはずである。

 

子どもと離れる時間を作り、介護にぬりつぶされるのではない自分の人生を構築していくために、相談できる機関や施設を広く探し回り、多くの人の手を借りながら、我が子と自分とがそれぞれに生きていく道を作り上げていかなくてはならないのだから。


思うのだけれど、そこまでの気持ちの切り替えができたなら、離婚寸前だという夫との関係も変わってくるのではあるまいか。


どんな理由で夫が結婚をやめたがっているのか分からないけれども、「何もかもを家庭で」と思い詰めた妻との暮らしは、夫にとっても妻にとっても、相当に息苦しいものであったかもしれない。


新しい暮らしを考えるときに、改めて夫とも話し合ってみてはいいのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。

 

 

今朝の健康観察日記


貼るカイロが効いていて、関節はまずまず。
胃が重い。食欲皆無。

 

息子は福祉サービスでお出かけ。
娘2人と亭主はファミレスでランチ。

私はとても食べられそうにないので、留守番して、これを書いている。