湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

曇り空なのに日が燦々と

 

今朝の健康観察日記

 

気温が少し上がってきているせいか、冷えをそれほど感じずに目覚めることかできた。

関節のごわごわも、そんなにひどくない。

睡眠はイマイチ。よく眠れた実感がない。

 

夢ばかり見ていた気がする。

育った街の公園に車を止めて、そこから電車(たぶん仙山線)に乗って旅行に行くという夢。目的不明。

仙山線 - Wikipedia

 

 

映画

 

フィリップ・K・ディックの「エレクトリック・ドリームズ」を、結局全部見てしまった。(現在シーズン1がAmazonプライム会員特典で見放題)

 

 

 

 

どれも強烈に印象的だったけど、最終話の「よそ者を殺せ」は特に気持ち悪かった。

 

近未来のアメリカ合衆国らしき国が、いつのまにか、南北アメリカ大陸全域を支配する超巨大国家になっているだけでなく、一党独裁全体主義的国家になっているのだ。けれども国民のほとんどは、そのことの不気味さや危険に全く気づいていない。生活の隅々まで、それこそ一人一人の肉体のリアルタイムのテータまで把握可能なシステムが行き渡った、完全な情報管理社会が作り上げられていて、人々はその枠の中で無個性に暮らしている。

 

あるとき、一人の工場労働者が、政治家の選挙演説中に「よそ者を殺せ」というスローガンが挟み込まれたことに気づく。労働者はぎょっとしてSNSでの他の人々の反応を見るけれど、誰も気づいていないのか、全く話題にならない。マスコミもそのことを取り上げない。


そのうち、「よそ者を殺せ」という看板が、街のあちこちに建てられ始める。
真っ赤な看板には、生身の人間の死体らしきものがぶら下げられていて、この上なく気持ちが悪い。なのにやはり、誰もそれを話題にしない。気がついてはいるけれど、意識に入れないようにしているらしい。

 

労働者は誰とも気持ちを共有できない状況に置かれて情緒不安定になり、いろいろな問題行動を繰り返して、当局に見とがめられるようになる。けれども医師も職場の人々も「よそ者を殺せ」という政府のスローガンについては、無視を決め込み、労働者の訴えを無視し続ける。


政府の洗脳はじわじわと進み、やがて住民たちが自ら「よそもの」を狩りはじめる。
労働者は、「よそ者」とされた女性に暴力をふるっている集団を止めようとして、逆に捕まってしまう。

物語の終わりには、政府によっ「よそ者」に仕立て上げられ、プロパガンダに利用された労働者が、死体となつて、看板につるされていた。

 

大多数の人々が共感あるいは黙認している、現行の社会制度や政治権力、政策などに対して、ちょっとした疑問を抱いた国民が、実に効率よくあぶりだされてマーキングされ、孤立させられ、やがて駆除されていくのに必要な条件が、短い作品のなかに、明確に提示されている。

 

まず生活の安定。これは絶対条件だろう。物語のなかの政府は、徹底した産業管理によって、貧富の差を解消することに成功しているらしいことがうかがえる。主人公の労働者も、たいした仕事をしていない(機械でも代行できるような軽作業をになっている)のに、何一つ不自由ない暮らしを送っている。完全自動運転の車が無償で支給されているようで、電車通勤をする人がほとんどいない。そもそも労働者がほとんど見当たらない社会なのだ。おそらくベーシックインカムの制度が成立しているのだろうと推測される。だから、一党支配に対して不満を抱く国民がほとんどいないのだと思われる。

 

次にあらゆる価値観の一元化と、個性の平均化。
人々は、どこにいても、マスメディアから流される立体映像につきまとわれ、話しかけられ、常にそれらに洗脳されつづけているような状況下で暮らしている。大半の人々が、そういうものだと思ってなじんでしまっている。主人公の労働者だけは、絶えず寄ってくる広告にうんざりして、生活から排除しようとしていたけれど、露骨なセックスアピールをしてくるチーズのCMの美女に対しては、ついうっかりよろめいている。陳腐だけれど、疑問を持たず、なじんで暮らしてさえいれば、至極快適な社会なのだ。


そして、そんな暮らしの中で、人々は知らず知らずのちに、孤立化させられている。
誰もが当たり障りのない表面的なつきあいを楽しみ、露骨な対立関係が生じないように、自発的に調整しながら暮らしている。現実に意見の対立が生じると、社会制度にとって害となる可能性のある側が、「病気」として扱われ、同調者を生み出す前に、治療や隔離など、コントロールの対象となってしまう。それでも社会に順応できない場合は、「よそ者」として殺されるというシステムなのだ。

 

この上なく気持ちの悪い社会だけれども、もしも世界がこんな単一国家になったなら、おそらく戦争も飢えもない、極めて安全で安定した社会が実現することだろう。

 

現実に残虐な戦争が繰り返されている世界とどっちがいいかと問われると、私には、簡単には選ぶことができそうにない。

 

 

 

 

キーボード

 

さっきから、キーボードが暴走して、書きにくいったらありゃしない。

勝手に改行を連打したり、かな入力がローマ字入力に勝手に変わってしまったり。

ときどきあるんだけど、ほんとに困る。まるでキーボードに別人格が宿ったかのようだ。

 

なんて書いてたら、安定してきた。

寝ぼけていたのかもしれない(私じゃなくてキーボードが)。

 

 

読書

「エロクトリック・ドリームズ」があまりにも面白かったので、フィリップ・K・ディックの短編集を少し読み始めた。

 

 

 

 

 

この作品集には、「エレクトリック・ドリームズ」で映像化された作品の原作である、「地図にない街」と「父さんもどき」が収録されている。

 

原作も面白いのだけど、映画では、より現代社会の問題をえぐるような要素がいろいろと付け加えられていたのが分かった。

 

「地図にない街」のほうは、状況設定は原作に近いけれども、登場人物たちは、まったく違う人生をあてがわれている。何らかの脳障害に由来する問題行動を繰り返す、駅員の息子は、原作には登場しない。映画のシナリオを作った人は、フィリップ・K・ディックの視点に深い敬意を表しつつ、それを超える作品を作るために全力を尽くしたのではないかと思われる。

 

見放題で見ることができて、ほんとうによかった。

シーズン1ということは、シーズン2もいつか見られるのだろうか。だったらいいな。