湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」の「ひこばえ」を探した日記

 

 ひとつ前の日記でヘッセを貶した責任を取るため、「車輪の下」、Kindle版をDLして、「ひこばえ」の有無を確認した。

 

 ↓ ひとつ前の日記

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

そして、発見した。

 

残念ながら、私がDLした新潮文庫版の翻訳は、「ひこばえ」という語を採用せず、「新しい芽」「根元にはえた芽」と訳している。


(なんで新潮文庫版をDLしたかというと、岩波文庫版の半額だったから(^_^;)

 

一本の木は頭を摘まれると、根の近くに好んで新しい芽を出すものである。それと同様に、青春のころに病みそこなわれた魂は、その当初と夢多い幼い日の春らしい時代に帰ることがよくある。そこに新しい希望を発見し、断ち切られた生命の糸を新たにつなぐことがてきるかのように。根元にはえた芽は水分豊かに急速に成長はするけれど、それは外見にすぎず、それがふたたび木になることはない。


(新潮文庫車輪の下Kindle版の位置No.2048からNo.2049)

 

 

口語訳としては読みやすいのかもしれないけれど、私は四十数年前に読んだ「ひこばえ」版のほうに軍配をあげたい。


だって、「ひこばえ」という単語がなければ、おそらくヘッセの「車輪の下」を読んだときの生々しい印象と幼い感想とを、ここまで長く記憶することはなかっただろうと思うから。


そして、四十数年ぶりに読み返した「車輪の下」は、驚くほど面白く、生き生きと感じられた。

 

今日は「ひこばえ」の確認のために猛スピードで斜め読みしたけれど、近日中に、きちんと読もうと思う。

 

それとは別に、「ひこばえ」訳の「車輪の下」も、探してみたい。

岩波文庫版あたりがそうではないかとにらんでいるんだけど。

 

 

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)