湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

聖書とマンガと広島弁と賛美歌と…(要するに雑記)

 

日本の古典文学は、そこそこ読んだけれども、海外の古典には、とことん疎い。

 

その中でも、聖書は、いつかきちんと読みたいと、ずっと思っていた。

 

イエス・キリストに関連した有名なエピソードなら、多少は知っているけど、まとまった知識がないために、キリスト教の要素を含んだ絵画や文学作品、漫画などを(そう、主に、特に、漫画などを)、ちゃんと理解することができないのが、残念だったのだ。

 

 

たとえば聖☆おにいさんを読んでいると、とても個性的な大天使たちや弟子たちが出てくるけど、彼らが聖書の中でどんな存在なのかほとんど知らないから、面白さが完全には見えてこなくて、もどかしかったり。

 

 

聖☆おにいさん(14) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(14) (モーニング KC)

 

 

 

もちろん、漫画ばっかりではないけど(ほんとにほんと)。

 

 

だから、末っ子がキリスト教系の学校に進学した時、便乗して勉強させてもらう気満々だった。

 

学校のお勧めで、末っ子が、教会の日曜学校に通うようになってからは、毎週くっついて行って、一緒に聖書のお話を聞いている。

 

 

前回は、創世記に出てくるアブラハムの息子のイサクの息子のヤコブについて、教えていただいた。

 

ヤコブが縁談のために一人で長旅をしている時に、天から梯子が降りてきて、天使たちが行き交う姿を見たあと、神の祝福を受けたという。

 

暗い空の雲の切れ間から、日光が差し込む様を、「天使の梯子」というのは、創世記のこのくだりから来ているのだと、初めて知った。

 

下のラクガキは、創世記のお話を知る前に描いた、天使の梯子(薄明光線)のイメージ。。。

 

 

f:id:puyomari1029:20171015225404j:image

 

 

次に描くことがあれば、だいぶイメージが変わりそうだ。(⌒-⌒; )

 

 

 新約聖書についてもいろいろ知りたいのだけれど、一人で聖書を読んでも、よく分からないことも多いし、イメージすることが難しいので、ビジュアルを含めて解説してくれるような本がないかなと思って探していて、これを見つけた。

 

 

 

芸術新潮 2017年 08 月号

芸術新潮 2017年 08 月号

 

 

 「聖書ものがたり」の上に、「仁義なき」が乗っかっている。

 

その意味するところは、イエス・キリストをはじめとした登場人物(大天使も含む)がみんな、神ヤハウェを大親分と仰ぐ、広島弁のヤクザになってるということだ。

 

 

受胎告知のシーンからして、なかなかひどい。

マリアをおとづれて、受胎告知をしている天使ガブリエルを見た、マリアの夫、ヨセフは、

 

「さてはこのドサンピン!  マリヤの不義密通の相手か!  ブチ殺したらァ!」

 

と決意しながら、懐のドスを握りしめたりしている。

 

もちろん誤解はすぐに解けて、ヨセフは天使を殺戮せずに済むのだけども(~_~;)。

 

全体的に、この曲にぴったりな世界観のもとに、新約聖書の中の主だったエピソードが描かれていく。

 


仁義なき戦いのテーマ/呉シティ・ウィンド・アンサンブル

 

 

 

 

 ・・・・・長いこと、なぜユダヤ人社会のなかでイエス・キリストが十字架にかけられ、キリスト教徒が迫害されたのか、よく分からなかったのだけど、「仁義なきキリスト教ものがたり」では、ローマ帝国の支配を背景に、ユダヤ人の宗教的な派閥同士が利権めいたものを巡って抗争している構図を、わかりやすくえぐり出して描いていて、すとんと心に落ちるものがあった。そういうこともあったのかなと。

 

この芸術新潮の記事の執筆者は架神恭介という人だというので、他にキリスト教関連の著書はないのかなと思って探してみたら、いろいろあった。

 

そのなかの、これを少しづつ読んでみている。

 

 

 

仁義なきキリスト教史 (ちくま文庫)

仁義なきキリスト教史 (ちくま文庫)

 

 

 

台詞は当然、広島弁

まったく触れたことのない方言なので、意味の分からない単語があったりする。

 

印象的なのは、これ。

 

「いたしい」

 

こんな具合に使われている。

 

「カール兄ィが音頭を取ったら、ボンクラ学生どもがえらい乗り気になってのう。今やヴィテンベルクは大混乱じゃ。どうにもいたしいもんじゃけえ、ルター兄ィにええ知恵貰おう思うて来たんです」

 

(「仁義なきキリスト教史」のKindle版の位置3436あたり)

 

ネットにある広島弁辞典によると「くるしい、つらい」というような意味で使われるらしい。

 

 

私のアタマのなかでは、キリスト教史は、反目、分裂、武力抗争に満ちた「いたしい」ものとして形成されつつある……(それはそんなに間違っていない気もする)。

 

 

でも、そういう面ばかり見ていると、キリスト教が民衆の信仰を集めていった理由が、よく分からなくなってしまう。ひっきりなしに血で血を洗う抗争を繰り返す団体に近づきたい民衆なんて、そんなにいないはずだから。

 

 

気分を変えるために、エンヤの賛美歌を聴く。

 


O Come, O Come, Emmanuel - Enya

 

 

日本語だと「久しく待ちにし主よとく来たりて」と呼ばれる、この賛美歌は、救世主イエスの誕生を切実に待つ思いが歌われている。

 

旧約聖書イザヤ書に、預言として、「見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。」という一説があって、それが元になっているそうだ。

 

 

救いにすがりたくて救世主を渇望しながら、現れた救世主を殺してしまう人々。

救世主のいなくなった世界で、かつて現れた救世主を心のよりどころとして、救いのない世の中を生き続けなくてはならない人々。

 

いたしい。。。