湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

だるい話と宗教関連の漫画と本とその他

 

今日の健康観察日記

 

二日連続の外出は、楽しかったけど、やっぱりキツかった。

息子の通う介護施設の行事に参加して、三時間ほど、ほとんど座っていただけなのに、ヨレヨレのフラフラ。

 

帰宅して横になったら、とんでもないだるさに襲われて、身体捨ててどっかに投げたくなった(無理)。

 

これは回復に時間がかかるなと思ったので、しんどいのをやりすごすために、Amazonビデオでアニメを見始めたのだけど、「聖☆おにいさん」を眺めているうちに、いつのまにか寝てしまっていた。

 

 

聖☆おにいさん(通常版) [DVD]
 

 

アニメ見ながら寝ちゃったのって、初めてかもしれない。あまりにも、のどかで平和だからかも。

続きは寝る前に見よう。

 

夜になってもだるいのは変わらず。

無理しないことにする。

 

 

 

アニメ

 

 

聖☆おにいさん」を見る前に、アニメ「魔法使いの嫁」の20話を見た。こちらは眠らなかった。緊迫した回だったからかもしれない。カルタフィルス、またの名をヨセフという、恐ろしく長命で邪悪なところのある魔法使いが、竜の子どもを拉致して競売にかけるところ。

 

カルタフィルスは遠い昔に「神の子」を裏切ったとかで、身体がどんどん腐り落ちながら永遠に生きなくてはならないという恐ろしい呪いを受けている。腐る身体の代わりの素材を手に入れるために、他人を陥れたり殺したりすることに、なんの躊躇もない。

 

「神の子」といえば、「聖☆おにいさん」にも出てくるあのイエス様だろう。じゃあカルタフィルスって誰なんだろうと思ってぐぐったら、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう途中で、イエスを侮辱して殴ったりした人物の名前であるらしい。そういうことをしたために、永遠にさまよう呪いをかけられた、という「さまよえるユダヤ人」という伝説が、ヨーロッパでは広く流布しているのだとか。

 

一神教であるキリスト教とは相容れない、古い神々や妖精たちの出てくる世界で、カルタフィルスの過去の物語がどう語られるのか、とても興味深い。

 

そういえば、ヒロインのチセは、自分の使い魔となった犬の妖精にルツという名をつけていた。旧約聖書の「ルツ記」を読んで、それが献身的な女性の名だったことを知ったけど、ルツは元は異教徒の娘で、嫁いでからユダヤ教に改宗したのだった。

 

 

宗教は信仰を集めて強大になると人の社会に分断を生み出すけれど、同時に分厚い歴史と伝承をも生み出す。

 

 橋本治氏が「宗教なんか怖くない」という本の冒頭で、「宗教とは、この現代に生き残っている過去である」と書いている。

 

「過去」が「生き残っている」というのは普通に考えればものすごく異様な事態であり、おかしい事なんだけど、宗教はそれを当たり前のように実現してしまう。けれども発祥してから何百年、何千年と経つうちに、当然のことながら当事者はみな死んでしまうから、教えは口承や文字記録のみとなり、硬直し形骸化し、本来含まなかったはずのさまざまな毒や薬を内部に醸成するなどして、「生きた過去」として人の社会や個人の精神生活に浸透していく。

 

 現代に生きている宗教は、やたらと争いごとに関わっている。ユダヤ教キリスト教イスラム教も、みんな同じ神を信仰するもので、その神はモーセ経由で「殺すな」ときっちり言って教えたようなのに、ものすごい勢いで殺しているのは、毒の醸し過ぎ、回り過ぎとしか思えない。そういうのばかり見ていたら、「生きた(いまだに生きてる)過去」というのは取扱注意だと、誰だって思うだろう。生きてる過去そのものの聖おにいさんたちは立川で休暇取ってる場合じゃないと思うんだけど、働き過ぎて休んでいるらしいし(働き過ぎてもこんな有様なわけだから)、仕方ないのか。

 

ええと、横道に逸れた。

 

 

読書

 

 

で、これを読みかけているわけである。

 

 

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

 

 

電子本で入手して読み始めて、途中で表紙をみなおしたら、絵がなんだかラノベか漫画みたいだ。

 

と思った瞬間にへんな方向の横道にそれた。

 

 

漫画

 

 

しばらく前からAmazonのオススメに入っていた漫画。

 

 

 

石橋防衛隊(個人) (cannaコミックス)

石橋防衛隊(個人) (cannaコミックス)

 

 

タイトルがよく分からない。防衛隊はわけるけど、「(個人)」って何なんだろう。

 

なんていう疑問を持つと釣られてしまうから、極力無視して素通りしてたけど、橋本治の「宗教なんかこわくない」のオウム真理教の捜査やら、引き起こした事件の実行犯が逃走しながら買い物するたびに「オウム様」宛の領収書を律儀にとって歩いたために足がつきまくったのだというような話を読んでいるうちに、どうしても気になって、結局釣られてしまった。

 

表紙の二人は、限りなく防衛大を連想させる「某大」という大学の学生で、将来的に、どうしても海上自衛隊としか思えない海自という部門に入ることを目標として、日々苦しい訓練を受けているらしい。

 

で、二人のうちの一人、石橋という美しい青年は、自国の人々の安全を守り、助ける仕事をしたいと願って進路を選んだのだけど、もう一人の強面の青年は、そんな石橋個人をただひたすら全力で守りたい一心で進路を決めたらしい。

 

二人の友情がどうなっていくのかは、今のところ謎である(全部よめばわかるだろう、多分)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「路上のソリスト」・尿

 
映画


数日前に、路上のソリストを見た。

 

 

路上のソリスト (字幕版)
 

 

 


序盤、けっこうしんどくて、一日では見終えることができず、二日がかりの鑑賞だった。


しんどかったのは自分の体調不良のせいもあるけど、主人公の一人である新聞記者ロペスの偽善や欺瞞、他人の不幸をネタとして記事に利用する新聞記者臭い貪欲さが、ものすごく鼻についたというのもあると思う。

 

しかもその他人、ナサニエル・エアーズは、希有な音楽の才能を持ち、名門の音楽院に在籍したこともある路上生活者で、精神病患者でもあった。

 

ロペスのコラムを愛読する中高年インテリ層に間違いなくウケると分かった上で、ロペスはナサニアルを追い、取材を進めていく。

 

そのうちにロペスは、多くの読者たちが望むような形で、ナサニエルの人生に介入し、彼を路上生活と精神病から救おうとしはじめる。

 

そういうのって、いやらしいことこの上ないし、もう間違いなく最悪の形で失敗するだろうなと分かってしまう。分かった上で、その経過を見ているのは、映画とはいえ、精神的にしんどいのである。というわけで、初日は半分で挫折。


翌日も、なかなか視聴再開する気にならなかった。

 

そもそも病気を話を盛り上げるための小道具のように使った物語を、私は好きになれない。

 

その昔、宮本輝の「優駿」(腎不全の子ども)とか、「錦繡」(知的障害児…たぶんダウン症)でうんざりしたことがある。小説はすばらしいのかもしれない。実際、それらを読んで心打たれたと思う。でも、なにかこう、「とってつけたような不幸」の象徴として、病気や障害が使われているという印象がぬぐい去れないのだ。それはたぶん、私自身が腎臓病患児や知的障害児の親だっただからなのだろう、とは思う。

(というわけで、最近話題の「君の脾臓をたべたい」も、どうしても読む気にならない。)

 

公平な視点でないのは分かっている。でも、嫌いなものは嫌いなんだから仕方が無い。

でも、この映画は根性出して、残りの部分を視聴した。


映画の冒頭から、新聞記者ロペスは、どうしようもない人として登場していた。

 

人気コラムニストだけど、自転車ですっころんでズタボロになるような迂闊な人だし、庭の害獣対策で、コヨーテの尿(粉末を水で戻す)を取り寄せて、庭に設置しようとしていて、頭っからそれをかぶったりするような、不器用な人でもある。自分の尿検査でも、採尿に失敗して尿をかぶっていた。

 

さらに、別れた妻に、別居している息子に連絡を取るようにときつく言われたりもしている。情の薄いダメ親父なのだ。


どう考えても、この人が取材で挫折することは、映画の冒頭から織り込み済みなのだろうと思われた。それなら、挫折した後に、取材の対象とどう向き合うのか、見届けてもいいかもしれないと思えたのだ。


予想通り、ロペスはナサニエルの人生への介入に失敗し、彼を激しく怒らせてしまう。音楽をこよなく愛する温厚なナサニアルに、殺す、はらわたを引きずり出すとまで言わせ、暴力まで振るわせてしまったロペスは、否応なしに自分のあり方を正面から見つめ直す時を迎えることになる。

 

家族を守らなかった自分。
熱心に取材対象を追いかける日々の中で、ほんとうに心から何かを愛したり、思いやったりすることから逃げ続けていた弱さ。

 

何かを愛したり慕ったりすれば、裏切られたときに傷つくリスクを負うことにもなる。そのリスクから、ロペスはとことん逃げ続けていたのである。

 

欺瞞や逃避をやめて、改めてナサニエルというたぐいまれな「友人」と向き合ったとき、彼の人生を良い方向に変えてやろうというような傲慢な意識は、ロペスの中から消え去っていた。


よい映画だったと思う。

だけどロペスが尿をかぶりまくるシーンは、必要だったんだろうか。


病気や障害の出てくる物語ばかりのレビューを書いている別ブログにも、この映画のことを書いた。

 

ikirutakarabako.blogspot.jp

 

 

蛇足だが、コヨーテの尿はAmazonで通販できる。種類もいろいろ。結構高い。
日本で多くの需要があるのかどうかは知らない。

 

 

 

コヨーテ尿???16オンス。

コヨーテ尿???16オンス。

 

 

 

 

 

いろいろ日記

今日の健康観察日記

 

睡眠、まずまず。
関節、まずまず。

ただ、歩くと膝がちょっと痛む。
昨日、外出して、いつになくたくさん歩いたせいだろうう。
少しづつ、慣らしていかないと。

 


映画

「神様からひと言」という邦画を見た。

 

 

神様からひと言 [DVD]

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原作は、荻原浩の同名の小説。

 

社員は上司には決して逆らわず、たとえ社長が意図的に会社を潰そうとしていても、唯々諾々と従うことで目先の保身を最優先させる……という不文律のある会社に中途採用で入った社員が、自分の意見を言おうとしたために、本社から遠く離れた「お客様相談室」に左遷され、そこで出会った奇妙な同僚たちと一緒に、馬鹿社長から会社を守りぬくというお話。

 

神様らしき人物(セイン・カミュだったらしい)は出てくるけれど、その人から何かひと言あるわけではない。結局は、主人公と同僚たちのなかにある、真実を見極めてやるべきことから逃げない心が、会社を救う力になっていた。

 

それにしてもひどい会社だった。(´・ω・`)


映画だから誇張して表現するのかもしれないけど、家畜用の飼料をまぜて原価を安くしたカップ麺をわざわざ作って、それをマスコミに自らたれ込んで株価を下げて、知り合いに乗っ取らせようとする社長を、誰一人とめようとしないのだ。

 

会社というところで働いたことがないのでよくわからないけれど、ここまでひどいところは存在しないと思いたい。


思いたいけど、つい先日も、車がリコールだと連絡がきて部品交換に出かけたばかりだ。何度目だっけ、タカタのエアバッグ交換させられるの。(´・ω・`)


ニュースに疎くてよく知らなかったけど、ずいぶん人が亡くなっているのだった。
ぞっとする。

 

 

www.nikkan.co.jp

 


短歌というか和歌


ふと気づけば、短歌雑誌の投稿の締め切りが「明日の消印まで有効」だった。
あわててノートをめくって詠んであった短歌から選ぼうとしたけど、どれも、ひどかった。orz

 

推敲したり、詠みなおしたりして、なんとか許容できる歌をまとめて、書いて、投函。

いつも、こんな感じだ。
毎日ちゃんと時間をとればいいのに。へたくそな歌でも詠んでおけば、勉強になるし材料にもなるのに。
間際にならないと、ちっともできない。

 

落ち込んだときは、和歌を眺めるとちょっと元気が出たりする。

万葉集が好きだ。


Kindleの無料本(青空文庫由来のもの)のなかに、正岡子規の「万葉集を読む」という本があって、額田王の歌について書いてあるのを、ここに引いてみる。

 

 

万葉集を読む

万葉集を読む

 

 

 


冬ごもり春さりくれば 鳴かざりし鳥も来鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど 山を茂み入りても取らず 草深み取りても見ず 秋山の木の葉を見ては 黄葉をば取りてぞしぬぶ 青きをばおきてぞなげく そこしうらめし 秋山吾は

 

正岡子規は、この歌について、身も蓋もないことを書いている。

 

「此歌、秋山を以て春山にまされると判断はすれど、其まされるとする理由は少しも分からず。吾は思ふ、天智天武両帝同じ思ひを額田王にかけ給きと聞けば、此歌も暗に春山を天智帝に比し秋山を天武帝に比し、此時いまだ志を得られざる天武帝をひそかになつかしく思ふ旨を言ひいでられたるには非るか。(明治33・7・3)

 

 

どうなんだろうか。


正岡子規は、額田王が、春山を天智天皇、秋山を天武天皇に見立てていると言っているけれど、それとは全く違う見立ての可能性はないだろうか。

 

たとえば、こんな具合に。

 

「鳴かざりし鳥」「咲かざりし花」=魅力的ではあるけれど額田王的には特に興味のない若い男たち(との新しい恋)

「黄葉」=シニアな天智帝(との因縁の愛人関係)
「青き(葉)」=まだ年若い天武帝(との危険な関係)


彼女は春山を「手に入らないもの」としてあっさり見限っているのに、秋山については、「黄葉」と「青き(葉)」を、それぞれ自在に手に取って、しのんだり嘆いたりしている。

 

恋心が一つところに定まらずに揺れ動いていて苦しいのに、そのややこしい状況を敢えて選んで「秋山吾は」と宣言しているのじゃなかろうか。

 


言葉


ところで上の額田王の歌の「冬ごもり春さりくれば」を、一般的な解釈では「冬が去って春がくれば」としているようだけれど、どうも納得がいかない。


「冬ごもり」で、どうして「冬が去って(過ぎて)」という解釈になるのか。
「こもる」といえば、閉じこもったり引きこもったり、隠れたりする意味が主であって、古語辞典を眺めても「過ぎる(去る)」というような意味は見当たらない。

 

「春さりくれば」も、よくわからない。
(ネットで見られる学研全訳)古語辞典には「さる(去る)」という動詞に「来る」の意味があるという語釈を載せているけれど、それだったら「さりくる」と、同じ意味の言葉をわざわざ重ねる意味が分からない。

 

「さりくる」という表現は、「春」のほかに、「夕」「夜」「秋」にも使われているようだ。季節や特定手の時間帯に限定的に使われるものらしいけれど、ネットで粗忽に調べた限りでは「朝」や「夏」は、「さりくる」事例が見つからない(索引とかでっかい辞書を引く根性がない…)。


という疑問を持ったので、そっちのほうの専門家に聞いてみようと思う。
返事が来たら、また後日の日記で。

 

 

 

朝の日記を今頃投稿

今朝の健康観察日記

 

膝の裏、肘の裏、肩甲骨の間などを、貼るカイロでせっせとあたためつづけている。

 

立ち上がるときの膝の痛みは半減。

目のかすみや痛みは、ほぼ全快。

手のこわばりと痛みは、さすがに根深いようで、改善が遅いけれども、朝の家事にはほとんど支障はなくなった。

 

あたためるって、ほんとにすごい。

 

 

アニメ

 

 

のシーズン1と2を、Amazonプライムビデオ(見放題)で全編見終わった。

 

 


「昭和元禄落語心中」アニメ第一期“与太郎放浪篇”ダイジェスト映像


TVアニメ「昭和元禄落語心中」PV① rakugo shinju animation PV1

 

 

原作コミックの大ファンなので、アニメを見るのはかなり勇気がいったけれども、近頃は見てがっかりするアニメが少ないようなので、思い切って視聴。とてもよかった。

 

シーズン1は、与太郎の出番が少なく、助六とみよ吉の死ぬところまでがメインになっていて、原作同様、つらかった。助六が最後に芝浜をやるところは、このあとすぐに死んでしまうのだと思うと、その不幸の度合いのすごさにめまいがしそうになる。

 

その真っ暗な不幸を救ってくれるのが、命を賭した芸の世界の象徴である死神であり、死後の世界、あの世だというのが、この作品のすごさだとも思う。シーズン2のエピソード10で八雲が他界し、エピソード11で、三途の川の手前の街で死んだ助六やみよ吉、焼け落ちた寄席と再会。人生の悔恨も苦しさも、すべてがほどけて、八雲は三途の川を渡っていく。

 

アニメではわりとあっさり描かれていたけれど、原作コミックでは、助六とみよ吉の亡霊が何度も八雲と小夏の前に現れて、彼らを苦しめつづけるので、あの世での再会(オチ)がなければ、どうしても苦いものが残っただろうし、八雲もまっすぐに極楽へは行けなかっただろうと思う。

 

こういう物語を見ると、人が死後の世界を求める理由が、なんとなく分かる気がする。

 

 

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

 

 

 

 

マンガ

 

小西明日翔の新作を読んで見た。

 

 

 

関西の極道の娘が、東京の極道の孫息子と付き合うことになり、東京の屋敷で同居することに。孫息子はかなりのイケメンで、しかも全く極道らしくない普通の高校生……に見えたのだけど、次第に薄気味悪い正体が見えてくる、というお話。

 

楽しいお話ではない。

孫息子の人間性の壊れっぷりは相当なもので、ヒロインは出会って早々、自分の腎臓を片方四百万で売り払うことになる。人間が屑肉のように扱われる裏社会では、本人も含めて、彼女の身体や命を大事に思うものがどこにもいない。そういうろくでもない経緯があっけらかんとした絵柄で描かれているので、一層気持ちが悪い。あんまり読みたくないけど、続きは気になる。

 

思えば前作「春の呪い」も、主要人物の孤独や家庭の異様さ、人間性の欠落っぷりが気になって、最後まで読んでしまったんだっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貼るカイロ療法。。

昨日と今朝の健康観察

 

貼るカイロでひたすら関節を温め続けている。

 

両膝の裏。

膝の裏側。

それから、腰の上あたり。

 

 

膝の裏をあっためると耳の奥があったかくなる現象は、まだ続いている。あたたまった血が耳付近をめぐるのだろうか。とても不思議だ。

 

 

温め続けていたら、立ち上がるときに、あまり膝が痛まなくなってきた。朝の寝起きの動作にも、「いてててててててて」の掛け声が不要になっている。何年も苦しんでいたのに、こんなに簡単に楽になるものなのか。

 

 

貼るカイロ代がちょっとかかるけと、病院や整骨院に火曜よりは安い。

 

 

肩甲骨の間にも貼りたい。そこの冷えが残ってるのを感じる。これ書いたら貼ってみよう。

 

 

映画

 

「セッション」という映画をみた。

 

 音楽学校でドラムを学んでいる青年が、才気走った鬼教師が率いるバンドのメンバーに抜擢されるけれど、教師の指導は苛烈を極め、執拗な人格攻撃や存在否定のシャワーを浴び続けて心が壊れてしまう学生も出てくる。教師の指導は、一時代にほんの一握り出現する、類まれな天才奏者の育成のみに焦点が絞られているのだった。

 

 

というわけで、全編を通してたいへん感じが悪い、音楽の楽しさなど全く感じられない映画であった。主人公の青年も、音楽的な高みを求めるあまり利己的になり、血まみれになるまで演奏する姿は妄執の成れの果てのようにも見える。

 

そこまでの苦痛と自己の存在を全否定するような危険で不幸な試練がなければ最高の演奏は生み出せないというのであれば、学校でそれを求めて学生の大多数を潰してしまうののはそもそも理不尽なのであって、もう世間のいたるところにある不幸な境遇に才能の育成を委ねてしまえばいいように思ってしまう。多くの天才の天才性は、学校ではないところで育まれているのだろうから。

 

天才は真っ当な学校では育たない。

天才を育成するような場は凡庸な才能の人を殺しかねない。

 

ということだけを言いたい映画ではないのだろうけど、そういうことばかりが目に付いた作品だった。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとあたたかい午前中

 

今朝の健康観察日記

 

 

昨日の精神科外来で、睡眠導入剤を倍に増やしてもらった(といっても、まだ少量の範囲)。

おかげで大変寝付きがよく、中途覚醒もなく、ひさびさにしっかり眠れた(推定七時間)。

朝の関節の痛みは、通常の半分以下。

「いたたたたたた!」と言わずに起き上がれる幸せヾ(〃^∇^)ノ。


冷えなかったのも、よかったのかもしれない。

 


挫折した映画


Amazonプライムビデオで、見放題なっている「星に想いを」という映画を見始めたのだけど…

 

星に想いを (字幕版)

星に想いを (字幕版)

 

 


アインシュタインが、数学者の姪と自動車整備工の恋の橋渡しをするという、フィクション映画。

 

楽しいのだけど、最後まで見ることができなかった。


理由は、アインシュタインとその仲間たちが、整備工を物理学の天才に仕立て上げ、にせの研究発表をさせて、姪の気を引こうとするエピソードがあったから。

 

残念だけど、私には、学者が学問の場にペテンを持ち込むようなお話を、ほほえましいとは思えない。

 

整備工が、ほんとうに天才だったらよかったんだけど。

どうせフィクションなんだし、存在しない姪を作り上げたくらいなんだから、そういうお話にしてもいいのに。

 

 

家事記録


とりあえず、流しの洗い物を八割。
全部片づけたかったけど、息切れしたので、断念。

 

 

ゲーム

 

映画をよく見るようになったら、iPhoneのゲームがあまり出来なくなってしまった。

 

ずっと楽しんでいる、「ふにゃもらけ」、LINEゲームの「ポコポコ」、白猫プロジェクトスマホ版「どうぶつの森」などが、すっかりおろそかになっている。

 

唯一、毎日開いているのが「城とドラゴン」。

 


城とドラゴン(城ドラ)「森の女の子」PV篇(歌詞入り)

 

この歌にうたわれてるみたいに、ドラゴンたちがずっと待ってる気がして、ついつい、のぞいてしまうのだ。

 

弱くて、あんまり勝てないけど。(´・ω・`)

 

 

 

グレープフルーツ風呂レポート・他

 
香はよかった。見た目は(略)


柑橘系の香で息子の食欲をコントロールできるかどうかの実験についてのその後。

昨日、亭主に頼んでグレープフルーツを買ってきてもらい、皮を入浴剤代わりに使ってみた(中身は食用とした)。


皮が浴槽でばらけると、息子がかじりそうなので、台所の三角コーナー&排水溝用のネットに入れて口をしばってから、お湯に浮かべてみた。


しばらくお湯につかっていると、皮がふわっわになった。
その状態でしぼると、グレープフルーツの香りがぱーっとあたりに広がり、なかなかさわやかだった。ヾ(〃^∇^)ノ

お風呂上がりは、心なしか、肌のすべすべ度合いが増したような気もした。


三角コーナーネットなんかに入れたせいで、見た目が完全に生ゴミなのが、ちょっと残念なところ。でもやすらぎ効果は、なかなかのものだった。


ただ、しぼり汁が直接肌につくと、ちょっとヒリヒリする。肌の弱い人は気をつけたほうがいいかもしれない。

 


映画


昨夜は、「シルク・ドゥ・ソレイユ 彼方からの物語」をiPhoneで途中まで見た。(2018/02/07現在、Amazonプライムビデオで見放題)

 

 

シルク・ドゥ・ソレイユ 彼方からの物語 [DVD]

シルク・ドゥ・ソレイユ 彼方からの物語 [DVD]

 

 


いまは続きをパソコンで眺めている。


サーカスを見に来た一人の少女が、空中ブランコの青年と一目惚れの恋に落ちる。
演技中の青年は、観客席の少女と目があった瞬間、手が滑って地面に転落……したかと思ったら、砂地が蟻地獄の巣のように地底に引きずり込まれていき、青年は別世界へ入り込んででしまう。追いかけた少女も別世界へたどりつくけど、二人はすれ違ったまま、なかなか出会うことができない…という、言葉のない物語。


うつくしさと、まがまがしさ、荒々しさと妖艶さが、渾然一体となって、不思議な世界を作り上げている。


CGなら、もっとすごいことができるだろうけれど、人の演じる幻想の世界には、CGにはない何かがある。たとえばどこにも血がないのに血のにおいがしそうな空気とか。


気になったのは、途中の演目で、中華風とも和風ともつかない、全身入れ墨のある戦士が、何度も爆裂する中華鍋を持って踊っていたこと。なぜ鍋なのか。何か由来があるのかな。

 


今朝の健康観察日記


またしても、朝の三時台に目が覚めてしまった。

おかげでとても体が重い。気持ちも重い。


どうしたものか。。。

今週、お医者さんに相談しよう。